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横山さん

April 11th, 2024

僕の二大師匠のうちの一人、社会システムデザイナーの横山禎徳さんがこの世を去った。大学の建築学科の大先輩であり、マッキンゼー社の大先輩であった。M社での3年半でご一緒したプロジェクトは1つだけだったが、僕にとってはやっぱり一番教えをいただいた先輩だった。一時期は自分の会社に出資もしてもらった。(ちなみにもう一人の師匠は江副浩正さんであり、二大師匠は共にいなくなってしまった・・)

去年までずっと、自分が「迷っているな..」と思った時には横山さんに会いに行った。オフィスにお邪魔すると後ろの方からにゅ〜っと出てきて、「今日は何よ・・(ニヤリ)」 から会話が始まった。いつまで経っても自分の中で緊張は抜けなくて、話したいことがうまく説明できないことも多かった。横山さんはいつも大いなる寄り道をしつつ、本質の話を授けてもらった。

25年ほど前、僕が「留学先は決まったんですが、今すぐ入りたいベンチャーと出会ってしまい・・留学を後にしてそっちに行きたいと思ってまして..」と言ったら、「海外行くなら先に行け、お前のやりたい世界はそれほど早く動かないから大丈夫だ」と言われて僕はニューヨークに行ったのだった。

その後「俺が行ってた頃から、ハーバードの都市デザイン大学院では、デザインの話は1/3、あとはビジネススクールのケーススタディが1/3、あとは政治と行政の話なんだよ。要するに都市のデザインというのはそういうことなんだよ」という話を教えてもらった。一度ビジネスの世界に突っ込むべきだと判断したもののどこかで自分の選択やアイデンティティに自信がなかった僕は、そのとき「あぁ、自分は間違ってなかったんだな」と救われた。

横山さんは話はとにかく当初の話題から外れてどんどん広がっていくが(大いなる脱線)、いつしか当初の問いに戻ってくる。そして毎回、深い深い学びを得ることになった。思考の根っこを教わった。
「あれかこれかの議論はすぐやめろ。あれもこれも、なのだ」・・・その言葉によって僕は、「答えは大抵、間にある」という前提で物事を考えるようになった。

彼の言葉で僕が一番よく思い出して意識するのは「ライトセンター間、落球」である。「みんな何でも安易に整理したがるんだよ。そういうもんじゃないんだ。・・組織の話だって、役割を明確にしたり組織図書いたりとかみんなするだろ? そうするとライトセンター間落球が起こるんだよ。もっとちゃんと考えないとダメなんだ。いかにもな理屈に飲み込まれるな」と。それは僕が物事を見る際の指針となった。”街のこと”を考える時も、しばしばそれを思い出して考える。

横山さんが社会システムデザインの本を出した時、「これはぜひ自分の仲間たちにも話を聞かせよう、そして横山さんという存在を知ってもらおう」と思ってイベントを開いた。「横山さん、いっぱい集まりましたよ!」といったときのちょっと嬉しそうな横山さんを見て僕も嬉しかった。

そういえば会社で初めてプロジェクトのチームミーティングでご一緒したときは、僕が横山さんの部屋を訪れるとまだ前の会議の途中で、若手に対して「あのさぁ〜、もっと構造的に考えろよ〜。構造主義だよ〜、”悲しき熱帯” 読めよ〜笑」と言っていて、その微妙に捻くれたセンスにたまらなく心を掴まれた。ゆるさ、深さ、鋭さ。いかにもな感じでキメる感じは決してしない、照れ屋な感じもあった。

一つ今も悔やんでいるのは、堤清二さんと横山さんのディナーに参加できる機会があったのにそれを逃したことである。僕が青春時代に影響を受けた空間や事業(PARCO、WAVE、Loft、シネセゾン、無印・・)を創った偉大なるカルチャーと街のディベロッパーだった堤さんと横山さんの会話を聞き逃したのは痛恨で、その本があったらどんな高値でも買うだろう。

この数年は「もっと話を聞きにこいよ!」とよく怒られた。お前(ら)には言いたいことがたくさんあるんだと。もっと行けばよかった。横山さんの建築/都市論を自分がインタビューして音声のシリーズで残そうとも思っていたのにできなかった。早くやればよかった。

僕は横山さんの前でたぶん、自分の教養不足を露呈しないように振る舞い、あるいは思考の浅さを自覚している風に振る舞うことで、少しでも認められようする幼稚な意識が抜けなかったような気がして恥ずかしい限りだが、そんなことは全部見抜かれていただろう。

でも僕は、密かに、勝手に、「自分は横山さんにとって、特別な後輩なんだ」と思っている。横山さんからすれば僕などは、知性や感性のレベルでいえば取るに足らない人間ではあるが、しかし自分は横山さんのアイデンティティの一部である「建築と都市デザイン」のスピリットを受け継いでいる。「市場や資本、社会の仕組みの現実の中でのデザイン、建築、都市」というテーマは、横山さんにとっても大切なテーマだったはずだし、それを追い続ける僕は可愛い後輩な”はず”なのだ。
しかも僕は、横山さんの偉大な思考や知力だけでなく、その広い意味での美学、美意識を理解しようと努めてきた。それが好きだったからだ。
だから僕はこれからも近くに横山さんが居続けるだろう。これからも発破をかけられ、それをエネルギーにしていくのだ・・・



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