横山さん

April 11th, 2024

僕の二大師匠のうちの一人、社会システムデザイナーの横山禎徳さんがこの世を去った。大学の建築学科の大先輩であり、マッキンゼー社の大先輩であった。M社での3年半でご一緒したプロジェクトは1つだけだったが、僕にとってはやっぱり一番教えをいただいた先輩だった。一時期は自分の会社に出資もしてもらった。(ちなみにもう一人の師匠は江副浩正さんであり、二大師匠は共にいなくなってしまった・・)

去年までずっと、自分が「迷っているな..」と思った時には横山さんに会いに行った。オフィスにお邪魔すると後ろの方からにゅ〜っと出てきて、「今日は何よ・・(ニヤリ)」 から会話が始まった。いつまで経っても自分の中で緊張は抜けなくて、話したいことがうまく説明できないことも多かった。横山さんはいつも大いなる寄り道をしつつ、本質の話を授けてもらった。

25年ほど前、僕が「留学先は決まったんですが、今すぐ入りたいベンチャーと出会ってしまい・・留学を後にしてそっちに行きたいと思ってまして..」と言ったら、「海外行くなら先に行け、お前のやりたい世界はそれほど早く動かないから大丈夫だ」と言われて僕はニューヨークに行ったのだった。

その後「俺が行ってた頃から、ハーバードの都市デザイン大学院では、デザインの話は1/3、あとはビジネススクールのケーススタディが1/3、あとは政治と行政の話なんだよ。要するに都市のデザインというのはそういうことなんだよ」という話を教えてもらった。一度ビジネスの世界に突っ込むべきだと判断したもののどこかで自分の選択やアイデンティティに自信がなかった僕は、そのとき「あぁ、自分は間違ってなかったんだな」と救われた。

横山さんは話はとにかく当初の話題から外れてどんどん広がっていくが(大いなる脱線)、いつしか当初の問いに戻ってくる。そして毎回、深い深い学びを得ることになった。思考の根っこを教わった。
「あれかこれかの議論はすぐやめろ。あれもこれも、なのだ」・・・その言葉によって僕は、「答えは大抵、間にある」という前提で物事を考えるようになった。

彼の言葉で僕が一番よく思い出して意識するのは「ライトセンター間、落球」である。「みんな何でも安易に整理したがるんだよ。そういうもんじゃないんだ。・・組織の話だって、役割を明確にしたり組織図書いたりとかみんなするだろ? そうするとライトセンター間落球が起こるんだよ。もっとちゃんと考えないとダメなんだ。いかにもな理屈に飲み込まれるな」と。それは僕が物事を見る際の指針となった。”街のこと”を考える時も、しばしばそれを思い出して考える。

横山さんが社会システムデザインの本を出した時、「これはぜひ自分の仲間たちにも話を聞かせよう、そして横山さんという存在を知ってもらおう」と思ってイベントを開いた。「横山さん、いっぱい集まりましたよ!」といったときのちょっと嬉しそうな横山さんを見て僕も嬉しかった。

そういえば会社で初めてプロジェクトのチームミーティングでご一緒したときは、僕が横山さんの部屋を訪れるとまだ前の会議の途中で、若手に対して「あのさぁ〜、もっと構造的に考えろよ〜。構造主義だよ〜、”悲しき熱帯” 読めよ〜笑」と言っていて、その微妙に捻くれたセンスにたまらなく心を掴まれた。ゆるさ、深さ、鋭さ。いかにもな感じでキメる感じは決してしない、照れ屋な感じもあった。

一つ今も悔やんでいるのは、堤清二さんと横山さんのディナーに参加できる機会があったのにそれを逃したことである。僕が青春時代に影響を受けた空間や事業(PARCO、WAVE、Loft、シネセゾン、無印・・)を創った偉大なるカルチャーと街のディベロッパーだった堤さんと横山さんの会話を聞き逃したのは痛恨で、その本があったらどんな高値でも買うだろう。

この数年は「もっと話を聞きにこいよ!」とよく怒られた。お前(ら)には言いたいことがたくさんあるんだと。もっと行けばよかった。横山さんの建築/都市論を自分がインタビューして音声のシリーズで残そうとも思っていたのにできなかった。早くやればよかった。

僕は横山さんの前でたぶん、自分の教養不足を露呈しないように振る舞い、あるいは思考の浅さを自覚している風に振る舞うことで、少しでも認められようする幼稚な意識が抜けなかったような気がして恥ずかしい限りだが、そんなことは全部見抜かれていただろう。

でも僕は、密かに、勝手に、「自分は横山さんにとって、特別な後輩なんだ」と思っている。横山さんからすれば僕などは、知性や感性のレベルでいえば取るに足らない人間ではあるが、しかし自分は横山さんのアイデンティティの一部である「建築と都市デザイン」のスピリットを受け継いでいる。「市場や資本、社会の仕組みの現実の中でのデザイン、建築、都市」というテーマは、横山さんにとっても大切なテーマだったはずだし、それを追い続ける僕は可愛い後輩な”はず”なのだ。
しかも僕は、横山さんの偉大な思考や知力だけでなく、その広い意味での美学、美意識を理解しようと努めてきた。それが好きだったからだ。
だから僕はこれからも近くに横山さんが居続けるだろう。これからも発破をかけられ、それをエネルギーにしていくのだ・・・



外房企画 2008

February 18th, 2021

某案件で色々考えていたら、10年以上前に書いた企画メモを思い出した。これは直後にリーマンショックで現実化は遠のいたのだが、形を変えてチャンスがあるかもという気もするのでなんとなくここに貼り付けておくことにします。(なんか変にスカしてて若干恥ずかしいけど・・)

—————————-

Tプロジェクトのイメージ
2008.01

海と池を見下ろす小高い丘。3万坪の広大な敷地。外房エリア全体の中でも稀有な条件を備えた土地である。  しかし、これほどの規模の土地を開発・事業化するのは容易ではない。東京近郊の”未開”のエリアとして房総は俄かに注目を浴び始めているものの、かつてのようなリゾートマンションがうまくゆくわけもなく、セカンドハウスニーズを想定したとしても、採算を合わせられるマーケットが充分に育つには、まだ時間がかかるだろう。

湘南よりは少し遠く、しかし東京から1.5時間で着く海辺。一方で、レストランやレクリエーションが少なく、リゾートとしては完結性の高いデスティネーションでなければ成立しない場所。ここでは大掛かりなレジャー施設も極めてリスクが高く、長期的成功も望みにくい。
顕在化されていない新たなオケージョンを生み出さねば、見通しは見えてこないはずだ。

ここで僕にとって印象に残っている一つの場所の話をしたい。
かつて外資系企業に勤めた時、各国から1人ずつ、30人ほどの新入社員が一箇所に集まって2週間の研修を行うという機会があった。僕が参加した回はニューヨーク郊外の施設で行われた。

マンハッタンから小1時間ほど車で走ってゆくと、緑に囲まれた戸建住宅が点在する田園風景が広がり、そうした中に広大な敷地が現れる。低い塀の中は芝生の庭が広がり、樹木が点在する中にレンガの建物が悠々と建っている。門をくぐってから玄関まで150mはあるだろう。建物に入りレセプションの脇のプレートを見ると、ORACLE, MICROSOFT といった名だたる米国企業が研修やコンファレンスを行っているのがわかる。ここはビジネスユース、オフサイトミーティングのための施設なのである。

米国では各都市に拠点が離れていることもあって、こうした企業内ギャザリングやトレーニング、業界のコンファレンス等が多く行われるが、それはしばしば「オフサイト」つまり日常的なビジネス環境とは離れた、むしろリゾートの場において行われることが多い。仕事、勉強、それらに関するコミュニケーションをしながら、夜には酒を飲み交わしたりして、リラックスした環境の中で創造的な時間を過ごすのである。

宿泊棟のベッドルームは広々として、窓の外は緑があふれている。ひたすら静かな環境である。施設内の廊下には至るところにフルーツやクッキーが盛られており、自由に食べることができる。コーヒーもいつも新しいものに変えられ、どこでも飲むことができる。いわゆるリゾートホテルやシティホテルのように、喧騒を感じる雰囲気はなく、洗練された落ち着いた空気が流れている。

 

ここでの毎日はどのようなものか。朝、鳥の鳴き声に起こされ、ダイニングで仲間と楽しく朝食を取り、午前中は静かな環境の中でレクチャーやディスカッション、ランチは庭の樹の下でとることもある。午後は時にはフリーな時間となり、皆で自転車を走らせて海へ行ったりもする。夜は大抵チームを組んで遅くまで課題に取り組むのだが、煮詰まるとバーへ行って酒を飲みながらアイディアを練る。時にはいくつかのチームが自然に集まってパーティーが始まることももちろんある。

僕はそこで2週間、とても魅惑的な時間を過ごした。不思議だったのは、その場所を離れる時に、リゾートで過ごした後の爽快感のようなものが、知的な達成感とともに感じられたことだ。遊びのように頭と身体をリラックスさせながら、創造的な勉強やコミュニケーションをするという体験が新しかった。広い視点や自由な発想が生まれ、企業にとって価値のある投資であることも実感した。

このような場所は、conference resort, business destination hotel と呼ばれたりしている。日本でも似たようなものはいくつかあるものの、どれもいかにも中途半端なもので、新しい価値観を持った企業がアクティブで前向きな目的に使いたくなるものはない。もちろん、もはや保養所の時代でもないし、箱根の「○○(株)研修所」といった類も、時代に合わなくなっていることは明らかだ。日本ではまだ、社員旅行は未だ熱海の旅館ということもあれば、せいぜいグループに分かれてのスキーや温泉。時にはハワイに行く会社もあるものの、どこまで意味のあるものかは疑問が残るように思える。コンファレンスは都心のホテルで平日の午後に行い、あくまで日常の延長でしかない。

若い経営者たちは、会社の未来を語ったり、新しいアイディアについて議論したりする機会はもっとあっていいと思っている。日本でも、新しい時代の価値観にあった新しい形でのオフサイトギャザリングや研修の機会は増えていき、文化として根付いていくように思う。ただしそれは米国でのニーズとは若干、異なるものになるだろう。アメリカのナショナルカンパニーのように各都市から人が集まる機会も多くないため、アメリカのようにたくさんのビジネスユースリゾートは要らないことは想像できる。その代わり、プロジェクトチームが2週間滞在して一気に強い集中力を発揮させる機会や、ビジョンを共有し議論することを兼ねた社員研修旅行など、潜在的なオケージョンは多様に存在している。また、欧米でいうところのジャンケットニーズもあるかもしれない。例えば映画公開に先駆けてプレスを一気にリゾートに集めて取材やPRを集中的に行ってゆくような機会である。

太東のこの場所で必要なものは、秋や冬も含め、通年で人が来る仕掛けである。土地や建築だけで多くの人を年中呼び続けられる場所ではない。直島が「art」をテーマにつくられた場所だとすれば、ここで生み出すべき新たなニーズは、「住」でも「遊」でもなく「WORK」である。

東京から1時間強でいける素朴なリゾートは、こうした場所に最も適したエリアではないかと思う。そしてこの広大な敷地では、狭義の「WORK」を超えた様々なシーンが展開することで、価値を高めていくことができるだろう。

ここに現れるのはただシリアスな仕事のコミュニケーションシーンばかりであってはならない。欧米とは異なる新たな形、コンセプトを作り出す必要がある。敷地内には例えば畑があって、ここを訪れるグループはそこで一日畑仕事をするのもいい。敷地内にはフォリーのような小さなラボオフィスが点在し、そこでは先進的な小さな会社やチームが「本社」をかまえて創造的な仕事をしているイメージもありえるだろう。充実したダイニング、バー、スポーツ施設も必要である。施設全体がアートギャラリーとしても運営されることも考えられる。「住」も混じってもよい。池のほとりには存在感のある小さな別荘が点在してもよいし、海側の低地にはサーファー賃貸があってもかまわない。

こうして定住者と訪問者が入り混じった場所となる。機能的で、環境に配慮しつつ、現代的にデザインされた中低層の建築やランドスケープにより、この場所の記憶は訪れる人々に残るとともに、人々のモチベーションを上げ、柔らかい発想を手にする場所ができあがる。

このプロジェクトはハード投資の回収を短期で考えるべきではない。不動産会社やファンドが事業主体になるのではなく、豊かな「WORK」の有り方を提示することで企業としてのアイデンティティが高められるような事業会社が数社で共同投資する形が望ましい。例えばパソナのような会社が中心的な事業主体になることが考えられる。直島における福武氏のように南部氏個人が経済的にコミットすることもあるかもしれない。

ともかくこのプロジェクトは日本のワーキングカルチャーに一つの新しいコンセプトを注入するという志を持ったものである。現実的かつ前向きなニーズを生み起こしながら、素晴らしい土地に素晴らしい環境・建築と経験をつくりだし、同時に日本の企業価値を上げてゆくきっかけを生み出すための一つの戦略でもあるのだ。

 

 



元旦に開く喫茶店

January 3rd, 2021

大晦日から元旦にかけて京都にいた。今年はやはり街に人がとても少なかった。

当たり前だが元旦にやっている店は少なく、開いているのは中心部の繁華街のチェーン店や観光客向けの店などが中心である。スタバなんかでも一部の店は休み、一部の店が少し遅い時間から開いていた。

小さな個人店たちは普通に三ヶ日は閉まっているわけだが、実は平常通りにやっている或る業態があった。それは街の外れの何てことない喫茶店たちである。

レトロな雰囲気を売りにしているでもなく、名店と言われることもなく、その街の人たちもなんとなくしか知らない。ただただ街の中で40年50年経った感じの店。爺さんか婆さんが一人でやっている。入りづらいし、特別に美味いわけでもない。お客も基本的に常連のお爺さんとお婆さんである。

そんな喫茶店が、元旦の朝に数件、開いていた。僕は東京の下町でも他の街でも、そういう喫茶店に足を踏み入れることがある。理由は自分でもよくわからない。レトロな名店に入るのとは多分違う。少なくとも珈琲の味や内装や、名店訪問リストを制覇していくことなどは目的にはなりえない。

僕は元旦の朝10時すぎに、ホテルで朝食を一応食べた後の散歩の途中で、寺町通のそんな喫茶店の様子がどうしても気になって足を踏み入れることにした。

そもそも彼らなぜ元旦の朝に開けているのか? オーナーの爺さんは暇なのだろうか?家族が集まっておせちを食べることももうしばらくなくなっているのかもしれない。だか本当の理由は違う。彼はある種の使命感として、”やらねばならない”のである。

その小さな古びた空間には店主のお爺さんの他に3人がいた。お婆さん1人と、お爺さん2人。お婆さんは、我が3歳の娘に微笑んで「おいくつ?可愛いわねぇ」と声をかけたあと、運ばれてきたカレーライスをゆっくり食べ始めた。

お婆ちゃんはこの京都でおそらく一人で暮らしているのだろう。彼女はこの日の朝、おせちを食べるより、”いつもの日常を過ごすために”そこへ来たのである。二人の爺さんも、或いは店主の爺さんも、同じである。いわば彼らにとってのモーニング・ルーティンである。店主はそうした街の日常のために、年の始まる日も変わらず、珈琲やカレーを出す。

ここは商業空間ではなく街の”コモンズ”、つまり日常生活の中にある共有地である。
とはいえここは不特定多数のための、”みんな”のための場とはいえず、或る一部の人々の日常の生活空間である。しかし街には一応開かれており、社会(public)に接続している。

これに近い性質が街場のスナックにもあるけれど、喫茶店は”黙っていられる場所”である。ここで正月に常連のためにおせちの会などを企画してしまっては、そこに訪れる人たちや店主のそれまでのある種の距離感は失われるかもしれない。会の告知がここに置かれることはあっても、行われるのは他の場所であるべきなのだ。

語らずともその空間に身を置き存在を承認し合う関係、あるいは心地よい自由がそこにはある。そこに流れるある種の安心感とか、彼らのある種の居心地とか、そうしたものを感じるのが僕は多分、好きなのだ。

その店の店主はかつては夫婦で店を営んでいたかもしれない。店を始めた頃はきっと、今どきのコーヒースタンドのようにハイカラだったのだろう。いま新たに開かれる個人店のカフェたちも、形は違えどやがて同様な境地に至るのかもしれない。

古い店たちが少しずつ新しい素敵な店に変わっていくその狭間に残された街場の謎の喫茶店たちは、世代を超えて生活が息づくこの偉大な都市の端々で、こうして新たな年を積み重ねていく。

街の中の多様な空間が維持されていくことと、現代の”最適化”は全く異なる意味を持つ。ジェントリフィケーションとは、街の「価値」が上がってしまうことで元々の住民が住めなくなるという意味だけではなく、彼らの暮らしの基盤であるささやかなコモンズが失われていくことも意味するのだ。

*もしかすると、こう言う人がいるかもしれない。「あのなぁ、お前。年始は年始で一定のニーズがあるから開けてンだよ。売れるンだよ。別に社会的使命感とかじゃねーよ。てかコモンズとかうぜーし」と。
そう思った人は要注意だ。ある場所を営み続ける人の思いやプライドへの想像力が欠け始めている・・(知らんけど)



前橋にて

December 22nd, 2020

この前の週末はコロナの関係で大阪行きがなくなったので、溜まっていた仕事の考えごとをがっつりやろうと思って家の近所でPCとノートを前に作業していた。夕方になってどうも集中力が落ちてきて、場所を変えようと思い立ち、どうせなら少し離れたところに行こうと、突如電車に乗って前橋に向かってみた。

噂のshiroiyaホテルを皆より一足先に見てやろうという建築ミーハー心も若干あったが、僕はそもそもぶらりと地方の旧市街を観察するのが好きなのである。shiroiyaは建築家部屋が埋まっていたし、むしろ気楽にドーミー温泉でよしと決めて予約し、夜遅くに前橋駅に着いた。

駅周りは想像以上に静かで、東急ステイ以外に高いビルもほぼなく、店もチェーン店がポツポツある程度であったが、僕はそれに対して「ふっ・・どこも同じ風景だな・・地方の駅前はつまらんな..」とか言うタイプでは実はないのである。ヨーロッパだって地方へ行けば駅前には何もなく、少し離れた旧市街に「街」がある。電車の駅に集積をつくることに風情などないのである。

夜遅くに着いたとはいえ、露天風呂とサウナに入って寝るだけじゃ嫌なので、お約束のように無駄に広いメインストリートから裏道を経由して旧市街(というか商店街)に向かった。
Shiroiyaホテルのファサード(というか”丘”っすね)を見てひとしきり感嘆した後、街で一番いいと言われているオーセンティックバーに入った。
行きの電車から考えていたことをまた考えながら難しい顔をして一杯目を飲み干したところで、マスターとの会話が始まる。

「前橋には仕事か何かで?」
「いえ、なんというか、街の様子を見にぶらりと」
「ほぅ・・そうですか・・・・ここも、衰退、ですよ・・」
「うぅ、まあでも白井屋さんとか、最近変化がありますよね?」
「ご存知ですか。起爆剤になればよいのですが。」
「あれもJINSの田中社長のプロジェクトですよね。」
「ほぅご存知で。ドラ焼き屋さんとかパスタ屋とかも田中さんが仕掛けてますが、並んでるんですよ。いいことです」

そんな具合でマスターの街への様々な思いが見え隠れし始めるこうした瞬間が僕は好きだ。
そもそも自分は大して酒も飲めないが、夜の街にダイブして地元の人の話を聞くにはバーが気楽なのである。いいバーのマスターはたいてい街についてそれなりの眼差しを持っている。

「あれを見て街の経営者は分かれるんですよ。刺激を受けて、”求められるものをつくれば人は来るんだ”と考える人と、”あんなもん流行りものだ、けっ”と考える人とにね」
「前向きになるべきなんです。バーの商売も向かい風ではありますが、これはビジネスだけじゃないので・・文化なんてことは偉そうに言えませんけれど。ともかく頑張らなきゃと思います」と、自分の仕事へのプライドとこだわり、街への愛を覗かせた。
「いやぁここはほんと素晴らしいです。万人にとってではなくとも、この店で過ごす時間を大事に、いや誇りに思っている人たちがいますよね。」
そんな話をして僕はとてもよい時間を過ごしたが、マスターから見ればまあ謎なキャラだったことだろう。

翌朝は目をつけたレトロ喫茶が休みでがっかりした後に気を取り戻し、新しめのカフェに入った。驚くほどの素晴らしいハニートーストを平らげた後、またパソコンを開く。RESASで前橋の製造業のこの20年の雇用激減の様子などをチェックしていると、確かに街中にいくつかの魅力的な店が現れたからといって、それだけでは大きな流れは変わらないだろうと思えた。街なかに新たな小さな兆しが生まれることは、確実に小さな希望を生み出す。だがその上で中規模な再編集、リデザインが必要である。

今は旧市街が辛い局面を迎えていても、経済とコミュニティがまだまだ前向きに持続しうる余地のある日本の地方都市はたくさんある。そうした旧市街を居住を含めて再編集するリデザインの方法は、これまでの再開発とは異なる新しいものであって、新しい制度も必要なものである。それは自分のこの数年のテーマであり、その仮説を徐々に温めるために街を訪れる。まだまだ霧がかかったような状態だが、前橋の夜にも少し前進はできた。

それにしても、東京で生まれ青春を渋谷で過ごしたクソエセCITYBOYの自分が地方都市うんぬんを考えるなど、クソだな。と思うこともないわけではない。バングラディシュの子供達のことも考えるわけでもなく、東京のオシャ空間も追っかけるくせに何を言うとるんやこのエセ都会クソ野郎が、と。

「地方?成り立たなければ、なくなりゃいいじゃん。」とか思えないのは実際のところどうしてなのか。問題解決オタクなのか?役に立って褒められたい願望か?それもあるかもしれない。確かに、順調なことより悩ましいことに興味がいく性分ではある。ひとひねり必要だからこそ俺の出番!みたいな。そういう偉そうな自己肯定と褒められがりな性分があるのだと思う。

とはいえ、わからないけど、活気が失われる街を見ると寂しくなる。いいなぁ、面白いな、幸せだな、と思える街が一つでも増えてほしいという本能的な気持ちがある。

翌日に、フクシマの双葉町で壁に絵を描く活動を進めているoverallsの面々と会ったとき彼らは「なにこの街!と人がワクワクすること。それをまずやるんです」と言った。
なにこの街!という感動を求めてまた色んなところに旅したいなぁ、と思った。

帰り側に、長坂常の流石の空間から出される旨いアンコの入ったおやつを食べながら、この街でおれの出番があるとしたら何だろうと思って歩いている時、連なる駐車場たちを見てちょっとしたイメージが出てきた。次はその提案でも持って訪れよう、と無駄に意識高めのオレに酔いながら帰途に着き、パソコンまみれの日常に戻った。リア充な週末だった。



脱都市計画?

July 19th, 2020

先日、上山信一さんのSFCの授業というかゼミ発表会みたいなものにオンラインで潜らせてもらいまして。分野的には都市政策、都市計画、都市デザイン、都市経済、みたいなものがミックスした感じだったのですが、なかなかに面白くて、さすが上山さん、さすがSFCの学生たちだなという感じでした。

ちょっとカタい話になりますが、それを聴きながら改めて思ったのは、Urban Planningとか都市計画という言葉をもうやめちゃえばいいんだということでした。捉え方を少しい変えて、というかそれらを包含する形で、都市デザインとかcity&area designとかにしてしまう方がよいのだと。

かつて人口増加や衛生問題に対応して管理したりインフラつくったりする時代には計画が有効だったために、それがズルズルと今まできてしまったわけですが、今は状況は全く変わっていて、特に市場の力があまりにも強くなった中では、公セクター側としてはもうルール設定によって都市の姿を誘導することが基本なわけです。

そしてその行為自体が、個々の空間のデザインとは少し違う意味で、やはりデザインであって、それは想像力を活かす創造行為であるというべきだろうと思います。

ある頃から、もうそれは数十年も前にはなりますが、マスタープランよりミニプランやゲリラアプローチが有効性を持つという話になって、それは今風にいえばtactical urbanismaみたいなことであったり、小さなリノベプロジェクトで新しい暮らし方を提示するような行為につながっているように思います。

ミクロなプロジェクトがメディアで広がってカルチャーと化していく流れは実際にそれなりのインパクトを生み、そこから新たなルールが生まれる面が実際にあります。それは想定通りに行きやしない「計画」よりも有効と言える面があると思います。が、かといってマクロな戦略や政策が無価値であるという意味にはならないと僕は思っていますし、ミクロなヤツとマクロなヤツが両方いて、それぞれがクリエイティブなヤツで、そして一緒に仕掛けている、というのがいいと思っています。

SFCの発表では小さなリノベプロジェクト的、tactical urbanism的なコトを実行していく人たちをstreet entrepreneurと呼んでいましたが、僕がそこに感じるのは「やっぱりみんな、デザインしたいんだ」ということです。新たなアイディアをカタチにしたいという欲求がそうさせるのだと。そしてかつてはフィジカルな空間の形をデザインと捉えていた時代から、徐々に彼らは生活像や価値観を含め、仕組みとかコミュニティのあり方だとか、そういうものを統合的にデザインして表現するようになっています。

僕はそのようなシフトがもう一歩進んでいくとの期待があって、つまりは街なり都市なり地域なりの、ある程度マクロ目線の(そして今のところ”広義”な意味での)デザイン、という方向にも展開すると感じています。そうなると、政策なりルールなりというところまで含めて街のデザインをしていくことに、創造表現欲求が向いていくのではないかということです。

そしてそうした「デザイン」は当然ながら、都市経済、交通、テクノロジー、福祉教育、そして政治構造も、コンテクストとして具体的に織り込みながらリアルなかたちを戦略思考&デザイン思考で探っていくことになります。これは広い視界を必要とするために、必然的にコラボレーションで進めていく話になるでしょう。そしてコラボする以上は共通言語が求められ、関連領域をそれなりには把握することが必要になります。

建築セクターでいえば、丹下黒川磯崎菊竹といった大御所たちの誇大妄想感のある構想は、ある種の挫折があったと思いますが、それはすでにあの時代にも経済的あるいは政治的なコンテクストを包含したプロセスでなければリアライズしえなかったということだと思います。

しかしながら創造的な人々というのはやっぱり「創造」「デザイン」をしたいわけで、「計画」をしたいわけではありません。自治体がつくる総合戦略にせよマスタープランにせよ、条例、公共施設施策、あるいは地区計画、どれも「都市計画」みたいな捉え方で表現していると、クリエイティブな香りがしてこないのが問題だと思っています。

都市計画とかまちづくりといったものが都市経済や産業戦略の話と分断されてしまっていることもだいぶ問題だと思っていますが、ルールや戦略によって現実の姿を誘導して編み上げる思考や行為も、ひっくるめてデザインと呼んでしまって、創造欲求を満たす超ポテンシャルな世界なんだぜと叫んでおき、同時にアカデミーでも体系化しておくことで、けっこう状況は変わっていく気がします。

僕がいま構想している「コレクティブ・ディストリクトのディベロッパー事業」という、これだけ聞くと意味不明の事業モデルも、いってみれば開発ビジネスなんですが、むしろ気持ち的にはエリアのデザインそのものだというつもりでいます。

今の大学生の世代は、テクノロジーにもマーケティングにも普通に興味がいくような人たちが、街のあり方とか情緒みたいなものにも同時に関心を抱いていて面白いなと最近しばしば思いますが、ハードデザイン系の大人たちも、これからの30年のお仕事をいい形でつくっていくためにも、今のうちにこれまでさほどマジに突っ込んでこなかった話を「具体的に突っ込んで」勉強していくのがいいのではないでしょうか。とりあえずいろんな分野の人たちと交わりながら。

とかクソ偉そうなことを言って恐縮です。僕も精進します。



コロナ、コミュニティ、或いはサードプレイス

July 3rd, 2020

1. 東京オアシス
蒲田の歓楽街に東京オアシスというカラオケパブがある。僕に言わせればここは東京で最も素晴らしいコミュニティ・プレイスである。天才的な司会者兼店長である”もんちゃん”の手腕と情熱によって、そこにいる地元の中年男女グループも、普段中目黒あたりにいそうな若者や時々訪れる海外の有名クリエーターなども、気づけば70-80年代の歌謡曲を歌い、オアシス・ダンスを踊り、互いに喝采と握手を繰り広げることになる稀有な酒場である。蒲田のもんちゃんこそ、かの山崎亮先生と並ぶ日本の誇るコミュニティデザイナーである。だがその東京オアシスも、このコロナ禍において制約を余儀なくされ苦境に立たされていると聞く。行かねば。

2. コミュニティ・プレイス
いつからか、この言葉がよく語られるようになった。いわゆるまちづくり界隈では皆がコミュニティのための空間、居場所、多様性ある共生空間、といったものを構想し、実際にその実現や運営に奮闘している。だが現実にはそこで当初謳われていたような「様々な属性の人々が出入りし居場所として過ごし、そこに繋がりが生まれる」といったことが思惑通りに起こるとは限らない。都市や地域の中で孤独化した人々のための居場所を意図したとしても、結果的には元気で仲間も多い意識高めのリア充たちの部室と化すことも多いと思われる。
一方、サードプレイスという言葉も、一体その実態が何なのかは未だ明確化されていない概念であるようにも思える。例えば、おじさんたちの溜まり場として昔から存在しコンビニよりその数はずっと多いと言われる「スナック」こそコミュニティプレイスの完成形の一つでありサードプレイスそのものなのだといった話が説得力を持つわけであるが、もしそこに「ダイバーシティ」までをも求めるならば、必ずしも属性的な意味でのそれが宿る場所とは言い切れない。僕はパーキングエリアや運転免許試験場に行ったとき、都市において稀有なレベルで”多様な属性や嗜好性を持つ人々が偏りなく一堂に会しているその空間で、人々の嗜好性タイプの割合・分布の観察を行っているが、そうした空間は意図的に簡単にはつくれない。またコミュニティとは一定の人のかたまりと繋がりであるとすれば、そこに多様性が必要な理由というのはジェネラルには語れないはずであり、そもそもコミュニティプレイスとは何なのかという問いに戻ってくることになる。

3. カルチャー
ところで「文化」という言葉と「カルチャー」という言葉には、微妙な差異があるように思える。僕はこの二つの言葉の語感的な違いとは、ファッションやトレンドといった概念の有無ではないかと思っている。カルチャーという言葉にはある種のファッションやトレンド、あるいは嗜好性要素が含まれており、文化という言葉はむしろトレンドに意識的ではない形で自然発生的に広く共有されるに至った感覚と行為・慣習であるように思われる。カルチャーとコミュニティという言葉は、ある文脈においては距離の近い概念と思われる一方で、いわゆるカッコ付きのコミュニティプレイス論で語られる場合には、むしろ”カルチャー”は相反する側面を持っているわけである。

4. カラオケ
カラオケそれは文化である。歌い踊るという人間の普遍的本能をベースに、現代社会に生み出された一大娯楽の形であるが、ここにはファッションの追求意図は基本的にはない。80年代頃にはカラオケは一つのトレンドと言われたとしても、それはあくまで結果であったし、さらに言えばそれは「文化となすこと」を意図したものでもなかっただろうが、現実としてそれは20世紀に日本に根付いた一つの文化なのである。カラオケボックスのようなある種の機能空間としても、はたまた「東京オアシス」のようなコミュニケーション酒場においても、それは必然的に、そして自然に浸透していった。

5. サードプレイス
家や職場の他に第三の居場所があることは豊かなのだ、というのはわからなくはない。自分も喫茶店をハシゴして仕事をするタイプであり、一人で街の中で机を構える場所がないと困ってしまう。スターバックスのいうところのサードプレイスがコミュニティだとか出会いだとかいった意味を含んでいるのかどうかは知らないが、パブリックな環境にある机には普遍的かつ多様なニーズがある。そして少なくとも自分の場合、周りに知らない人たちがいてかつ関わる必要がないという環境から、ほどよい緊張感と圧倒的な自由とともに、結果として大いなる集中力と癒し、そして街への帰属感を享受する。
そこにいる人の多様性という意味で言えば、それが高いといえる居場所空間の一つはファミレスであり、少なくともスタバよりも属性は多様である。だがファミレスに多様な属性の人がいることが特段の意味を持っているとは言えないかもしれない。

6. コミュニティプレイス再び
そもそも、多様な人々が共生し、彼らの互いのコミュニケーションが生まれる場所、というのを創り出す必要がなぜあるのだろうか。これはいくつかのタイプで語られることが可能であろう。ビジネスだとか、イノベーションだとかいった軸でいえば、そうした場所の持つ意味があるだろう。だがそこではある程度同様な意識、目的軸を持っている人々が触れ合うことがむしろ大事であったりする面があり、おじいさんも子供も中学生も日常的に一緒にいることを目指すべきとも思いにくい。一方で、日常や災害時などにおけるリアルな共助が望まれるような地域社会においては、失われた関係性を補完するための空間として、世代を超えた共生の空間や機会は意味を持つに違いない。後者においてそうした空間は、その場所や地域や国の共有された「文化」を取り込むことはあっても、「カルチャー」を排除した方が目的に近づけるだろう。ここではいわゆるオシャレの弊害も見え隠れすることとなる。そしてさらにいえば「皆の居場所」といった抽象的なイメージをもって、そこに「それらしさ」をかぶせることは、多様性から遠ざかる道に他ならず、「らしさ」のデザインはその対象をしっかりと見定める必要がある。

7. コレクティブ
これからの生活環境を考えていく上で、コレクティブという概念に着目している。北欧に多くあるようなコレクティブハウジングは、生活空間の一部を共有する形で暮らす住宅であるが、僕のイメージしているコレクティブ(リビング)とは、近隣を含めた街の中も含めた範囲で一定の空間やサービスを共有し、そこに世代をまたぐ関係性があることで様々なベネフィットも生まれるというものである。これからの都市、郊外、あるいは中山間部などにおいて、これまでとはまた違う「コレクティブ」の形に大きな可能性を感じている。そこではやはり、共有されるサードプレイスとでもいうべき空間が特に高齢者や子育て層といった人たちにとって意味を持つ可能性は高いだろう。だがその空間は一つの共通のモデルであるべきものではなく、それこそ多様な種類のそれがつくられる方がいい。「多様性とコミュニケーション」はいつも登場するべき与件ではない。

8. コロナ再び
最初の話に戻るが、東京オアシスに興味を持った人は、ぜひこの時期にこそ行ってみていただきたい。マスクをつけても歌は歌える。手のひらも体もアルコールにまみれながら、コミュニティをデザインしていただきたい。まち界の出川哲郎と言われ、住みたくない街ランキングに登場しながらも愛され続ける蒲田という街の真髄をここに見ることができる。ただし意識や感度が高いと自覚するような人たちが大勢なだれ込むことはここでは無粋である。
僕としてはまあ6人くらいの多様性に富んだグループのお誘いをお待ちしております。

——————————-

* 近頃、何が言いたいかよくわからないけどなんとなくそれっぽい感じの文章書くのがストレス発散みたいになってきています。お許しください。



タワマン

March 15th, 2020

ある自治体仕事の締切的なやつがあって、ここ数日ずっと鬼のようにキーボードを叩きまくっている。木曜金曜土曜と続けて、夜中の2時すぎまで24時間営業の喫茶店にいた。今日日曜も1時間のジム以外は10時間以上集中し続けている。誰か褒めてほしい。まあこれまでずっとサボっていたのが原因ではあるのだが・・

いま僕は、operation exellenceの鏡である珈琲貴族エジンバラにいるが、ここは日曜の23時でもほぼ満席の賑わいである。そのなかで僕は鬼の形相でパソコンに向かっている。リア充でないことは確かだが、たまにはそんな時もあるだろう。しかしさすがに疲れたので息抜きでこれを書いている。

つい30分前、今晩はまた2時コースだなと腹を括り、家だと一瞬で寝て終わるのでチャリで爆走して新宿まで来たわけだが、その途中でイヤなものを見た。それは「すみふ」のオフィスとマンションである。

すみふとは住友不動産である。僕はすみふが嫌いだ。といっても個人的に嫌いなだけで、当然ながら大変立派な会社であり、まったくもって健全経営である。すみふ出身の友人たちも結構いるが、みんな仕事はできるし人として魅力的なやつばかりである。すみふのタワマンに住む友人も人としてとても素晴らしかったりすることは認めざるをえない。

先ほど目にしたすみふのタワーたちは山手線沿いにあった。かつてそこに何があったのかは知らない。跡形もないからわからない。いかにもちょい贅沢風味のライティングに照らされたいかにもな草むらがタワーを囲み、その向こうに何棟かのビルがそびえ立つ。一見するとBMWとかで入っていくのが正解、みたいな感じになっているが、よく考えたら馬場と大久保の間でカッコつけてんなよ・・という感じである。

こういう開発が嫌いだとか言うのは、貧乏性か、おっさん世代のプチ文化系といったところであろうか。つまり自分。貧乏性のプチ文化系とはこの俺である。しかもガリ勉出身の不動産屋だからこういう開発がどういう理屈でたくさん行われるかはよくわかっている。どう考えても合理的で、批判したところで止まることはないと知っている。

ところで僕はかつていたビジネス系の世界の友人らから「お金に興味ない人だよね〜」とか言われる。興味ないわけではないのだがそれほどない。食うに困るとか将来に大きな不安を感じないくらいには稼いでいるが、好きでない仕事をしてまで今以上に稼ぎたいとは100%思わない。それはつまり好きな仕事で今以上稼ぐ能力がないということなのだがまあ置いておこう。
僕は48とかになっても出張でホテルに高いお金を払うのは無駄と思い安宿を探すし、回らない寿司に行くことはあっても星付きレストランのスタンプラリーみたいのは恥ずかしいとすら感じる。仮にベンツをタダでもらってもチャリの方がカッコいいだろと思う(ポルシェなら戴くけど)。かつては「ここでこっちの道に行けばけっこう金持ちになるんだろうな」と思いつつ逆の選択をしてきた。貧乏とは言わないにせよ、貧乏性的要素は十分にあると思われる。こういうタイプにすみふ嫌いは多い。タワーより低層がいい、スカした店より裏道の古い店がいい、という類の志向である。

しかし僕は誇り高き貧乏性である。自分なりの幸福最適の戦略としてそれを保っている。たぶん余計なコガネを手にするとついついスカした店に行き、下手するとすみふのタワーに住んだりしてしまうのではないかと恐れている。そんなことをしたらこの東京がさらにイケてない街に変貌していくことに加担してしまうと考えるのである。実際のところ、よく言われるように一定のラインを超えると幸福度と収入は相関しないと実感もしている。自分の所得を上げるより会社に置いておいて事業に使う方がいい。

話がそれたが、ほんとうは嫌いなのは贅沢風味の空虚な足元に囲まれたタワーであって、それはいろんな会社がつくっている。すみふだけを嫌いと言うのはフェアじゃないかもしれない。しかし、他の大手たちはすみふよりも街のことを丁寧に考える。すみふはそんなことは考えない。ビルの収益に集中する。そうするのが健全経営のコツたりうるのである。

行政としては所得の高い人が多く住む方が財政が健全化するからそれを望む。所得の高い人を多く集めるには高級マンションをつくるのが王道である。ゆえに工場跡地にタワーが建ち、小さな土地を買いあさって整理してタワーを建てるならば区はルールも変更して応援する。基本的にお金持ちにタワー好きは多いものだ。そういう志向性の方がお金と相性がいいのである。そういう国であり時代なのである(まあ金持ちでなくてもタワー好きが多いんだけど)。

こんなことを書くと「それ、グチじゃん」と言われそうだ。その通りである。だが自分としての自分のためのまちづくりがここにあるのである。僕の友人知人たちにはいろんな志向を持つ人たちがいて、みんな好きなのだけれど、自分と風情的な好みや美意識が同じわけではない。クリエーターと言われる人たちはその意味では近い側にいることが多いとは思うが、立派なビジネスマンたちは逆側にいる人も多い。

僕はこうして密かに少しずつ、メインストリームで稼いでいるビジネスマンたちにメッセージを差し込むのである。日本のディベロッパーがつくるタワーはダサいのだ。キモいものなのだと。これはある種の投票行為でもあり、世間の価値観を自分が望む方向に1mmずつでもズラそうとする幸福追求行為の一部なのである。そして僕の仕事というのも根本的にそういうことであって、全くもって利己的なものである。ただその利己的行為が利他的な意味でもポジティブなものになるために、僕は貧乏性としての自分を擁護しているのであり、そこにおいて自分の価値観に対する信頼があるのである。

・・こうして今日の仕事の終了時間がまた伸びてしまった。鬼の形相でパソコンを続けます..



地域のビジネスモデル

January 10th, 2020

浜松天竜でがんばっているウチの元メンバー中谷明史と話していたら、色々と頭が整理された感じになったので書いておくことにします。

僕は最近ソレ系の場でちょいちょい話すのが、地域再生というのは「まちづくり」と「(地域の)ビジネスモデルづくり」であるという話です。

まちづくりというのは、風景とかストリートの活気とか、魅力的な場所づくりとかコミュニティに関する問題解決など、なんとなく皆が”まちづくり”と呼ぶ系のもの、です。「ビジネスモデルづくり」というのは、「昔はこの街は○○で栄えてねぇ、それに関わる色んな仕事や人の行き来があったものだよ」といったように、その地域の経済を支える生態系のようなものを指して言っています。

この2つはニワトリタマゴ的というか、ビジネスモデルが弱くなるとマチも活気がなくなったり問題が増えたりするという話と、マチが魅力がないと経済的な生態系というのも強くならないという話が両方あります。その二つがうまく並走してシナジーしながら良い方向へ向かわないといけないし、どちら側に関わりを持つ人も、もう一方のことが見えていないと、鶏が卵を産まなくなったり卵から鶏が生まれにくくなったりするんだと思います。

日本では市民住民たちも、まちづくりを頑張ろう!ということで色々がんばっているし、行政も一生懸命考えています。一方、ビジネスモデルづくりの方は商工会議所や地元企業の団体とかあるいは行政の企業誘致系や産業振興系の部署などが、これまた一生懸命やっているということだと思います。ただあえて偉そうに言ってしまうと、まちづくり系も、地域のビジネスモデル系もなかなかうまくいかない場面が多いのが現実で、それはそのやり方がイマイチだからであると考えることは大事だと思われます。

ここではビジネスモデルづくりの方の話で思っていることを書きますと、これからの時代は、自動車産業とか製紙業界とかの集積によってその周辺産業も含めて集まってきてクラスターが形成されて発展する、みたいなことがかつてのようには起こらなくなっています。製造業は工場やその近接集積が必要だったけどそれは減っていくし、一次産業に近いところでローカルで爆発的成長が生じるとかもなかなかに難しいし、シリコンバレーっぽいことも地方で起こることはめちゃ難しいと。

小さい都市なり地域の話でいえばそこまででっかい規模で地域のビジネスモデルが再編成される必要はないわけなので、観光でいけそうなところはとりあえず観光を頑張るというのはまあ一つの妥当な道なのだと思いますし、ある種の環境下にある地域はエネルギーに絡めた新たな解き方はあるだろう、とかはあるでしょう。ですがそれ以外でいうと「だいたいどこでもこれ系でいけるよね」というのは基本的になく、それぞれに筋のいい道は違うでしょう。

そして、新たなビジネスモデルというのは机上でバン!とシナリオを描くみたいなことで生まれるようなことはほぼなく、やっぱり一人の個人の志や才覚、偶発的な出会いや得体のしれない化学反応みたいなもの、あるいは既存企業のちょっとした挑戦みたいなものとかが連鎖して生まれたり変わったりしていく、みたいなことだったりします。

そうしたことが起こるように何を仕掛けて行くか。よくあるような「起業促進に向けてコワーキング拠点をつくります」みたいなことは、まあとても安易な発想で、表面的にやる限りは何の意味もないいのではと思います。よほど複合的・戦略的な何かがないと、そもそも近隣でフリーランス的にデスクワークをしてる人たちがおしゃれな拠点に場所を移した以上に大して意味が生まれないと考えるべきでしょう。

僕は最近、地方のそこそこ規模のある企業で、潜在的な成長可能性があるのにそれを現実化するための作戦を生み出す視点や人材が欠けている、みたいなところに、都会でバリバリ戦略的なビジネスモデルを仕掛けているような人とか、やたら販路を持ってる人とか、ある種のクリエーターとかが一定の関わりを持って知恵を注ぎ込むような状況を生むための人のマッチングシステムがあるといいかもと思って、周りで興味を持ちそうな人にそんな話をしたりしています。それは要するに、その会社にとって「足りてないピース」を埋めるという話です。

量的なインパクトが出やすいい一定規模の地場企業とかでなくても、新しい小さな種を生み出すみたいな話ももちろん大事なわけですが、プロジェクトなり新規事業なり起業みたいなものが始まってドライブしていくということを考えたときに、地方地域ではそこで「組み立てるヤツ」が欠けていることが多いように思います。アイディアの断片のようなものがあったときに、それをうまく展開していく「勝ち筋事業」に仕立てるシナリオライター&ドライバーみたいな人、です。それが往々にして「足りないピース」わけですが、そのことが軽視されてると思うわけです。

どんな地域にも何がしかの資源といい役者はいるもので、ゆえに集まって議論すると「なんかいけるかも?!」なアイディアが出る。で、「誰がやるんだ?」「やってみたけど続かないなぁ」みたいなことがよくあります。これを解くのが上述の「組み立て屋」であって、「こういう形にすると、この人もこの会社も継続的にコミットできるよね」といった形のデザインをしたり、「あ、なんかうまくいってないのはココが問題だから、こうすればいけるよ」みたいな適切な判断をしたりする役割です。

しかし悩ましいのは「組み立て屋」人材というのは少ないということです。地域の観光や産品のデザインをするようなクリエーターなどの数に対しても圧倒的に少ないわけです。そうした訓練を日々やっている人というのは都会の大きな会社とかベンチャーとかにたくさんいたりして、マクロで見ると、地方地域では不足している状況なのだと思われます(まあ都会でもそうなんですが)。もちろん地域にもちゃんといるんですが、衰退地域で小さなきっかけを生み出すみたいな世界においては特に、この組み立て&ディレクションの部分がけっこうなレベルの能力がないと難しいこともあり、結果的に足りないピースになっているということだと思います。

この辺の話でヒントとして、僕は鎌倉のカマコンバレーは一つのヒントになると思っています。カマコンバレーは月に一回とか集まって様々な新しい事業や活動仕掛けなんかについてアイディアを出したりそれを現実的に進める知恵を出したり関わる人を集めたりする場としてのイベントシリーズ&コミュニティになってましたが、これは地方地域においては必ずしもリアルに集まらなくてもできる考え方に思えます。今の時代、手段は広がっているので。

組み立て屋(それ以外にも色々な種類のピースがありえますが)なんかについて言えば、都会でゴリゴリやって様々な繋がりや情報やスキルを持ってるような人たちも、自分の地元や関わりある地域のコトに役立ちたい、離れててもできることはないかな、と思っているような人たちはけっこういると思うのです。彼らをうまいこと巻き込んで適切な知恵や情報のぶつけあいをするようなインフラをつくる、彼らをうまくレバレッジしちゃう、というようなことが、とりあえずコワーキングスペースで起業促進みたいなハコ志向で動くより意味があるのではないかと思いますし、優遇策つくって誘致営業をがんばるみたいなことよりも面白いことにつながりえるように思います。
冒頭の浜松天竜ではそんなことが始まるかも?という話になってるので、楽しみです。

それと若干話が変わりますが・・小さい街にいって話を聞いてよく思うことですが、何しろ目の前に空き物件が多かったりすると、それをどう生かすかという話がよく出ます(僕の仕事柄ってのも大きいでしょうが)。それはそれで個別の問題として重要なんですが、そのときに「まちづくり」文脈の世界だと「リテール」つまり「そこにやってくる人がお金を落とす商い」の話になりすぎる問題というのがあります。そこに人がいないのに、どうやってそこに人を引っ張ってくるか、という問いが立ちすぎるというものです。人が来て売りが立つ世界というのは楽しいですが、そもそも「売りが立つ」というのは、人が来て立つ売りと、人が来なくて立つ売りがあるわけです。つまり輸出産業をもっと考えようよと思ってしまうわけです。輸出産業をドライブさせたりブランディングするために、聖なる物理空間を設定する、という方向でも楽しい筋道は描けます。でも、物件をネタにコトを考えようという視界の中にいると、ついついリテールにいきがちであるというのは意識しておくべきに思えます。

僕は、”まちづくり”と”(地域の)ビジネスモデルづくり”が融合していく話がようやくちゃんとされはじめる元年みたいなタイミングに日本はいるのだろうなと思っています。自分の元々の仕事分野である建築(デザイン)と不動産の間みたいなところでは、それが融合した話が広がっていった元年は2000年代の初め頃でした。その後そうした分野ではだいぶ視界が進化してコトが進みました。街とか地域といった世界では、今ようやくそういうところにいるんだろうな、みたいな気がしています。

というわけで、気づいたらだいぶ長くなっちゃったのでいったんここまでということで。
「で、何やりゃいいんだよ!」みたいな感じで恐縮ですが、その答えを生み出すためにその手前でやることがあるんじゃね?という話でした。すいません。

 



バンド救国論

September 8th, 2019

1年ほど前に仕事仲間と勢いでバンドを組んで月一くらいで練習しているのだが、これがめちゃくちゃ楽しい。技術的にはいわゆる”上手い人”は自分も含めて一人もおらず、せいぜい知り合いのパーティで無理やり盛り上げるのが関の山である可能性が今のところ高いのだが、最近わかってきたのは、これは社会を救うのではないか?ということである。

誰でも知ってる簡単な曲のコピーもまあ楽しいのだが、ウチのバンドはたまたまヴァイオリンがいたので、パッヘルベルのカノンをベースにしてメジャーなポップス曲を乗せまくるというアレンジを始めてみた。カノンというのはそのコード進行がめちゃ汎用性が高いので、かなり多くの有名な日本のヒット曲をそのまま乗せることができる。それで色々遊んでいるうちにオリジナルな表現が色々生まれ、異常に楽しくなってきたのだ。

それはそれとして、なぜバンドは社会を救うのか。まず僕はこのところ、高齢者住居には音楽スタジオがなければならないと主張している。これには明確な理由がある。

今から約60年前、1957年にビートルズがデビューした。彼らのヒット作が連発したのは60年代である。エルヴィスも実はほぼ同時期にデビューしている。つまり、1960年代に10代の青春を過ごした世代、まさにこれから70代を過ごす世代の人々というのは、「ロックで青春を過ごした人類初の高齢者」なのである。ここに社会とバンドの関係における重大な意味が存在するのだ。

日本の高齢者施設では様々な「レクリエーション」が行われている。その中のひとつが言わずと知れたカラオケである。歌うのは確かにいいものだ。他によく行われる「玉入れ」や「タケノコ釣りゲーム」などに比べれば人気があるだろう。だが当然ながら、機械の伴奏に乗せて歌うのとチームで演奏するのは全く違うものだ。

なにしろバンドは創造行為である。アレンジもいくらでもできるし、バラバラな状態から少しずつ完成度を上げていく過程の面白さも、バシッと合ってきたときの気持ち良さも、仲間とともにつくりあげる楽しさも、何もかも違う。これからの高齢者たちは、10代の頃の青春の感覚を思い出しながら、頭と体を駆使して創造行為を繰り広げるのである。

こんなことを言うと、若い頃に楽器をやっていた人にしか許されない遊びではないか、バンドで合わせられる技術を持った高齢者などほぼいない!との異論もあるだろう。しかしこれから楽器のテクノロジーは間違いなくすごい進化をとげる。GとかFとかAmと書いたボタンを押して弦を弾けばきれいなコードを奏でることもできるし、メロディを弾けば伴奏もついてくるといったことも可能になる。技のレベルに依存せずにそれぞれのレベルで楽しめるようになるのである。楽器を必死で学ぶモチベーションがわかない人も、リズムくらいは叩ける。

そうして彼らは日常に「もっとがんばろう」「上手くなりたい」「モテたい」といった欲求が芽生え、そして時に人に大喝采を浴びるスターとなる。アーティストとしての自分を認識したとき、彼らの人生の意味は変わる。そして指と頭を使い続けることでボケの防止になり、健康寿命は長くなり、結果的に医療コストも介護コストも下がっていく。そしてバンドはどんどんメンバーやパートを交代して楽しめるため、気づいたら孤独問題、コミュニティ問題も解けていくのである。バンドはまさにこの高齢化社会の諸問題を根本から解決する手段なのだ。

ということで、これからは全ての高齢者住居、CCRC、多世代共生住宅といったものには必ず音楽スタジオとライブスペースを設置することを建築基準法で必須とすべきである。さらに各自治体は全ての高齢者に何らかの楽器を無償で提供することを国として義務付けるべきである。法律になるまでの間、財政難の自治体こそ我先にと先鞭を切って明日にも政策決定すべきである。そして全ての音楽家と楽器メーカーやスクール事業者などは、この市場をめがけて新商品の開発や、コード進行と曲のガイドブック、アプリ、動画共有やレッスンのプラットフォームとコンテンツを開発しなければならない。

日本の殆どの問題は、こうしてバンドによって解決していく。今、僕にはそのビジョンが明確に見えているのである。いやマジで(笑)。

 

*反論として「ならばクラシックだって吹奏楽だっていいではないか。それがこれまで高齢者コミュニティの中でそれほど大きく広がらなかったのになぜロックならできるのか」といったものが想定されるが、それはナンセンスである。もちろんクラシックをやってもいいのだが、ロックの方がゴマカシが効くというのがが一つ。簡単に弾ける楽器が開発されるというのが一つ。そしてじいさんばあさんがクラシックをやっても破壊力に限界がある。高度成長を支えてきたモーレツ世代のエネルギーを、そして彼らを家で我慢して支えてきたご婦人たちの溜まり溜まったエネルギーを、ロックで爆発させてこそ、彼らはその隠れたるマグマで破壊的パワーを発揮し、世の中を変革していくのである。



凡人の主張

June 12th, 2019

斜に構えない大人になろう!キャンペーンを今こっそりやっておりまして、まあ簡単に言うと、思ったことを素直に言おうという感じのやつです。僕は人に嫌われたり批判されたりするのがこわいので、ついついそれをガードしちゃう悪いクセがあるんですが、今更ながらそれじゃだめだなというソロ運動です。

で、ちょっと急に変なことを思い立ちまして、偉大な建築家や建築界に文句を言って(書いて)みようと思った次第なのです。練習っちゃ練習ですけど。まあ僕自身はケンチク家を挫折した人間ですし、建築に関する評論的なものなど書けるわけもないポジションと見識レベルなのですが、それを気にしないのが今回のキャンペーンということで。ぶっちゃけこれ読む人ってあまりにもニッチすぎるのですがそれも気にしないことにします。

昨日、磯崎新さんのレクチャーを聞いたんですよね。本業は不動産屋なので、アカデミックで知的なお話はたまに家でかっこつけて読んだりはしますが、そっち系のシンポジウムとかは滅多にいかないのですが、次世代都市の交通とデザインみたいなやつだったし、そこで磯崎新に内藤廣に・・とか聞くと、なんか元建築少年的にちょっと気になったりもするもので、ふと思い立って行ってみたわけです。

で、まあぶっちゃけ期待はずれだったんですね。いやもちろん、内藤さんや磯崎さんの話は流石にめちゃ知的というか粋というか、かっこいいというか・・それこそいわゆるuberがどうとか自動運転時代のモビリティうんぬんみたいな話についてのありがちな未来分析のような世俗な話は一切せずに、1000年前くらいに行ってみたりめちゃ抽象的な図像とか出てきたりするわけです。そして1960年代の都市モデルの絵とか、いわゆるメタボリズムとかのアレが出てきたりして、それが投影された脇に磯崎さんが座ってるだけでオーラ満載、みたいな。

もちろん知的刺激といいますか、右脳のマッサージというか、イケてるなぁとは思ったんですが、一方でなんというか、オナニー感みたいのを感じてしまったわけです。かのセンパイたちはレベル高すぎかつビジネスマンでもないわけなので、変に現実的なソリューション☆みたいな話をしたら興ざめだよねという感覚も持っているつもりではあるのですが、さすがにこれ知的ゲームだよね、みたいな・・これをオーディエンスたちが「ふむ、勉強になった」みたいな感じになるのも微妙だなあと思ったのです。

知的ゲームはそれ自体、文化的にも社会的にも意味があると思いますし、本当に大事なことを意識して仕事するためにも高尚な目線に触れなきゃいけないとは思いつつも、さすがにこれじゃ現実の問題だとか仕事だとかとの距離ありすぎじゃね?的な感覚を持ったわけです。最初から「たまにはケンチクのウンチクを楽しもう。そういうの、大事だぜ」と言われてるならいいんですけどね、みたいな。今回の設定からすると、大先生たちはもうちょい、オーディエンスたちがこの世の厄介なコトに立ち向かう武器を与えるべきじゃない?とか感じたんですよね。

なんか、建築の偉い世界っていうのはこういう空気というかプロトコルというか、このカッコいい感じっていうのが昔からあって、それは価値はあるんだけど、その感じばかりで押してくるので多くの学生からプロまでもがその影響受けすぎてなんか勿体無いことになるような気がしています、昔から。まあ芸術カテゴリっていう意味では、そうそう俗世な話ばかりに行ってはいけないのは当然なんでしょうが、ケンチクにおいてはそれは1980年くらいならよかったかもしれないけど今さすがに違うくない?みたいなやつです。ソリューション的に「提案」みたいのもなかったし。深い投げかけがなかったとはもちろんいいませんけど・・

でですね、途中から見方を変えましたと。いわゆる60-70年代の都市モデルみたいなやつを見ながら、これ系って、いつも賞賛されてるけどいいのかしら?という問いを持ってみたわけです。メタボリズムとかって、思考実験とかアートワーク的に言えばすごいバリューありまくりだと思うけど、失敗ちゃうの?みたいな。当時は批判もされたけどもう過去だから、価値あるとこだけ振り返ろうよみたいになってない?みたいな。僕なんぞは現実的に日本の都市とか地域とかについてまじどうすりゃいいんだ?とか割とまじめに考えたり一応しているので、リアリストといいますか、まあファンタジーに欠けることがいつも反省だったりもするわけですが、でもやっぱりあの時代の一連のやつって、政治もキャピタリズム自体も含めた現実には反映できなかったのは事実でしょうと。

リアリストとしてはやっぱり、思考や表現に価値はあったもののそこで終わることは本望ではなかったはずだよねと思うし、野望を実現するためにもうちょい必要な他業種の人とのコラボ議論とか現実的な戦略とかスタディしておけば違ったのでは?くらいはやればいいんじゃないのとか思うわけです。でもそういう形の批判や反省というのは全く見あたらないんですよね。自分の文化的見識の浅さを自覚した上でも、むずむずします。

いやいや、ああいう挑戦的な思考があって色々生まれたんだ!とか、カプセルタワーは偉大だろうが!とか、コルブのガーデンシティがあった上で色々やってみて人間は気づきを得てジェイコブズとかに進展したんだとか、いろいろあるのは一応わかっているつもりではあります。しかし、負けというか挫折というかそういう部分について、何が欠けていたんだろう?的な話をしないで来たことでケンチク族や世界が失ったものも大きくないですかね、みたいな。しかもあんな頭よくてクールな人たちが皆でポジティブに語ってたら誰も現実的なほうから文句なんて言えないし・・とか。

そんなことを柄にもなく考えたりしてるうちに「メタボリズム 批判」みたいなググりを始めてしまいました。おれ何やってんだって感じですが面白くなってきてこれを書くに至っているわけですが、ともかく出てきたのは何かというと・・
例えばこういうの(https://www.mori.art.museum/blog/2012/01/6-3.php)が出てきました。いわく「メタボリズム当時に唱えられたメイン・ストラクチャーとサブ・ストラクチャーという概念は、今持続可能な建築モデルとして、ストラクチャーとインフィルという概念で受け継がれようとしている。今後、しっかり受け継いで貰いたい」とか、ぶっちゃけいまいち無理があるなあという感じだったり、
「黒川さんの都市型の農村住居は、四角いコンパクトなコミュニティの提案で、今回の震災と重ね合わせた時(中略)すでに現れていたことを改めて感慨深く見つめ直すことができる」とかって言うのも、感慨深く見つめなおせる、って言ってもあんまり未来につながる感ないなあとか、「震災を題材にメタボリズムを進展させることはできないだろうか?」とかって問いかけられても・・みたいな。

さっきの話に戻ると、メタボリズムとかも若干苦しげな賞賛するよりも「まあ運動や発想やパッションは改めて刺激受けるべきだけど、あれは現実には勝てなかったね、実現していこうとするならこういうコトや視点やヒトが必要だったんだろうね。で、今からの話として考えるならさあ・・」ってやった方がいいような気がしたりします。そしてそもそもああいう都市モデルをどかーんと提示するならば、リアルにやろうと思うならもっと現実分析が必要だったんだなぁとか、逆にアート的態度でガン!とやるのであればそう宣言した方がよかったし、そういう意味ではピータークックの方がむしろマトモやん、みたいな感じもしてきます。

この南條さんとレムの話のレポート(http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2011/10/why_metabolism_now.html)なんかも、面白いけど微妙にムズムズする話が続いたあとに「政府や(国交省次官だった)下河辺さんらが描いた脚本に沿って(メタボリストたちは)自分たちの役割を果たした」とかってなってるけど、実際は下河辺さんは丹下さんとかのめちゃ知的でバリュー高いフレームワークに大いに耳を傾けたけど中身的にはほぼ採用しなかったということのようだし、やっぱ答えてないじゃん!という印象を持ちます。いま解体で話題の都城市民会館も偉大だし、そうしたアートピース(というのが良いのかアレですが)が生まれること自体の素晴らしさとかはわかってるつもりではあるんですが・・

ともかくですね、やっぱり閉じたコミュニティといいますか、偉大な先輩は批判しない的な空気を感じるんですよね・・(自戒を込めて)

で、そんな中でとある税理士のブログ(http://blog.livedoor.jp/ifukano/archives/3771535.html)がなかなか個人的に傑作でした。これによると、僕は知識が浅くてわかってなかったんですが、磯崎さんは「メタボリズムは今やお笑い。その展示やシンポはお笑い番組なんだ」とか言ってるんですね。ここへ来て、さすがやね・・と思いました。でこの税理士は「結局一度もカプセルは取り替えられることなく、取り壊しの危機に瀕しています。これが失敗でなくて何でしょう」と堂々と言い「結局メタボが対処できなかった都市の変貌は、アレグザンダーや磯崎さんが表現した都市の自然的or偶発的形成ですらなくむしろ必然的暴力が背景にあり、それを生んだのはキャピタリズムという化け物だったのではないでしょうか」とか言っていたりして、なんか専門家の話よりすっと入るな、みたいな。

ともかく、僕の今宵の勉強によると、全総の時代は政府も官僚も建築家に期待していた、しかしその期待には答えきれなかったということなんだなとわかりました。そして今、国交省なんかがリノベまちづくりに期待していたりするわけですが、僕はそうした中でも自分も関わるリノベまちづくりを自己批判もしながら進化させていくべきと思ってたりするあたりが自分のマジメさだよね、とか思っています。



© 2018 ATSUMI HAYASHI BLOG |
快楽サステナブル Design by The Up!