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空間の編集権

July 17th, 2012

R不動産でやっているtoolboxというサイトのコンセプトは「自分の空間を編集するための道具箱」ってやつなんだけど、こないだCCCの増田さんは「そう、色んな世界で”編集権の移動”がもっと起こっていくんだよね」と言っていた。音楽でいえば、アルバムのA面~B面のストーリーというのもだいぶ過去の話になってしまった。CDがでてきたときに中2だった僕は、A面の最後の曲とかB面の1曲目というものがなくなることに違和感があったけど、今、ipod, itunesのプレイリストに気持ち悪さはもちろんない。洋服はだいぶ昔からそういうふうに変わってきたし、携帯はフォルムのデザインより楽しいアプリを自分がどう編集し楽しむかということになった。これから本や雑誌がそういう流れで変わっていくだろうし、テレビも徐々に同じことがおこってくる。デジタルの進化、ツールの開発、情報チャネルの多様化、で、ユーザーへの編集権の移動は進んでいく。

空間の話でいうと、とくに都市の住宅においては、外側のハコはiphoneのようにある程度定型化して、中で変化するアプリケーションなりアクセサリーが変化進化し続けるというようなことが一つの流れとして出てくると思っている。スケルトンとインフィルが分かれるという話とは別に、ハコは合理的にシンプルに、中はより人間的に、という方向。建築に比べて内装に関しては、その編集権がユーザーに移動しやすい。もちろん洋服のようにさっと「選んで、着る」というようにはいかないので、編集やインストールする作業はプロの力を借りなければそうそう美しく完結できないんだけど、いずれにしてもプロの役割範囲は変わってくる。情報を得る、選ぶ、シミュレートする、教えを乞う、インストールする、してもらう、アップデートする、直す、いじる・・・そうした手順のあり方が変わっていく。

ユーザーにとっての編集の手立てやプロセスをひっくるめてインターフェースと呼ぶならば、そこに便利で豊かな世界をどうつくっていけるかというのはとてもおもしろい領域だと思う。新たな形やプレーヤがいろいろ出てくるだろうし、新しいかたちのクリエイションやそれをビジネスにする機会・方法もきっと現れてくる。多分この世界はいきなり全てが変わるわけではないし、今までのような建築家やデザイナーならではの仕事の価値は残るけれど、特にリノベーションなりリフォームにおいては、ハウスメーカーやセンスのいい工務店や量販店がそれぞれ力を増す中で、旧来の設計アトリエ的な手順がどうしても割高感を増していってしまうという状況は考えられる。

ともかく編集権がユーザーに移動していくとして、それがどのように起こっていくのかは僕らも鋭意研究中なわけだけどいずれにしてもデザイナーが支配する領域変わり、役割も変わることになる。減る部分もあるし、増える部分もある。後者は、道具立ての開発、つまりコンテンツやアプリケーションをデザインしたり、あるいはインターフェースの構造をデザインするということとか。そして僕らのミッションは、味気ない効率合理主義者たちがこの変化の先を支配しないよう、人間的で豊かな流れをつくること。

僕自身は学校を出るときにそれまで憧れていた建築家になるのをやめたけど、いい空間をつくること・増やすことは、やっぱり諦められないわけで、、自分が設計から離れても、マッチングとか、デベロプメントとか、場づくりとかインターフェースだとか、メディアづくりとか、手段はけっこうなんでもいいんだけど、いいアイデアやこだわりの技や素材がコンビニに置いてあるくらいに誰の目にもふれる状況とか、おもしろいカタチや質感を24時間考えているようなすごい人たちが生み出すものが世の中にふつうに広がっていくような状況をつくりたいなあと。今の情報環境や技術によってそれは実現できる気がする。



つづき

July 11th, 2012

快&楽が続く人生→そのための都市と産業の分散構造→それを担保する価値観や夫婦関係という、だいぶ無理のある話の流れで恐縮ですが・・(しかも深く検証とかしていないので割とゆるいという。。)

まあともかく、社会の自由度が上がると「なんか私たち、生き方がいつも一致するわけじゃないね」っていうことは増えていき、離婚圧力は上がる。ならば「夫婦が一生一緒」が基本であるという現代の常識が果たして今後もベストなのか?という話がつい出てきてしまう。

かつてはお見合いや親の指示で結婚した人も多く、それでけっこう安泰に夫婦関係が長続きしたりしていた。それは社会的な制約が強かったからでもあるわけだが、その制約とセットでそこに幸せなかたちがあった。しかし現代社会というやつは、そういう制約から離れようとしてきた。テレビをつくり電話や車をつくったように、人間は自由度や効率や快楽を求めて変化してきた。技術の進化や民主主義の進化や個人の自由の尊重や女性の社会的地位の進化などなどが、そういう制約を徐々に解き放っている。昔のような拘束あってこその幸せはもうワークしない。

僕が思うに人生のモード選択の自由度が上がることはよいことで、それを前提に、夫婦関係も流動性ベースにふった方がいいのではないか。自分の周りのデキる女たちは「結婚ってマストじゃないんですよね、ほんとに」と考えている人は明らかに増えている。その彼女らも、人間の本能として子供を生みたいという気持ちはあるはずだが、結婚関係の固定化には本質的な意味を感じにくく、縛りがデメリットになるというわけだ。結果、少子化へ向かう。これはよくない。

ここにも答えは間にある。近いものではフランスのパックス制度(準結婚、的な制度。続いてもいい試用期間みたいな感じ)がものすごく受け入れられ、それで子供がたくさん生まれているというのを見れば明らかに思える。一生続けるも幸せ、違いがでてきたらそれぞれの幸せのために前向きに分かれるのもよし、という流動的なかたちが当たり前になれば、倫理的問題はおこらないと思う。もちろん子供が小さいうちは一緒にいてあげよーねという常識感覚やルールはあった方がいいけど、無言夫婦や浮気両親のもとにいるくらいなら一旦ポジティブに解散しようという感覚もあっていい。そのようにふってしまうと意外と今より長続きしたりする気もする(正確には、長続きするマッチングが生じる機会が増える)。で、自分はどうかというと、一生コミット型でいこうとは思ってるけど、強いて言えばパックス的なかたちを自分たちに合ったかたちでカスタマイズするのがいいのかもという感覚。

で、ぎゅーんと話を戻しますと・・
地方の町が健全に維持されて、中心都市もウツ的でない、という状況になるには、政策や政治構造だけじゃなくて、生き方の常識とか、共有するマインドが変わる必要がある。新しいあり方を実践する大企業を国がサポートするのも重要だし、社会的な流動性を上げる仕組みも必要だし、「間」の夫婦制度もあるべきだし、同時に、地方の魅力を実践的に発信する若者のメッセージや、それを皆が共有していくことも大事だと思う。
もう都市計画は地図を描くようなことをする時代じゃないけど、かといってコミュニティ論だけでも政策論だけでもなく、社会システムや価値観の、統合的なビジョン論にならざるを得ない。いろんな視点、分野の人がお互いある程度全体感を共有しながら、多様性を肯定しながら組み立てていく。

僕はもっと都市や地域の色々な幸せなあり方を理解できないといかんなと思いつつ、そんな終わりのない(リアリティすらない?)うんちくをいいながら、周りから「うんちくはわかった。で、お前はいつ結婚すんだYO!」と突っ込まれる日々が続く。



都市論、からの結婚論

July 11th, 2012

最近、地方都市や地域の話に、前より少しずつ興味が出てきている。自分は東京の人間だし、仕事でがっつり地方シフトするわけではないけれど、今後の社会なり経済なり価値観なりを考えていくと自然に視野には入ってくる。(僕らが宿をやってる)新島のあるべき未来は?っていうテーマも個人的にあったりするし。

で、地方といえば、人口と仕事が減って経済縮小、という意味では基本的に厳しいぞということで、そこからコミュニティなり共同体なりの話が出てくるんだけど、いずれにせよ住む場所として維持するためには、仕事をつくれないといけない。仕事というのはザ・資本主義的な意味の仕事だけを意味する必要はもちろんないんだけど、当面マジョリティを占めるであろういわゆる産業というやつは、技術の進化とともに大きな流れとしては効率的集約化、そして都市化が進んできた。もちろん物事というのは、ある方向に進むと逆方向の動きも生まれるわけで(グローバル進むとローカルも、ハイテク進むとハイタッチも・・ってやつ)、分散に向かった動きはあるし、むしろ加速する可能性もあるのだけど。

地理的に見たときにはしかし、全体として産業(と人口)は東京集中がまだ進んでる。人が必要以上に集まりすぎれば、満員電車で疲れるし、土地も高くなるし、ゆえにローンが重くなって人生がどんどんつらくなるはずなのだが・・
なんていうか、広い公園で100人がバーベキューするときにわざわざ真ん中でギューギューに押し合いへし合いしながら食べる必要はないのに、的な。確かに肉を焼いてるところから離れているとウマい肉を食べ損なうリスクはあるんだけど、そこはルール設定というか、焼けたらまとめてグループごとに配っていくとか、はたまた地方分権的に、仕込みまでは一カ所集中でやるけど焼き場はいくつかに分散するとか、いろいろ方法はある。地方にいると情報が少ないとか人材が来ないといった現実はあるのだろうけど、日本の構造はちょっといびつに思える。

基本的に、都市も適度に集中、適度に分散、がいいに決まってる。そのためには仕事の分散が必要なんだけど、伝統工芸とか渋い観光とかいきなり自給自足、だけだとさすがに解ききれず、やっぱりある程度、太い産業の分散がないと厳しいだろう。インテルやナイキがいてこそ素敵に成り立つポートランドとか、シーメンスの経済活動と一体で皆健全に街を愛するドイツのエアランゲンみたいな話や、欧米でふつうに大企業の本社が分散している感じは、東京にいるとやっぱり不思議に感じる。どうしてそれができちゃうんだろうと。

多分、日本人に比べると若干、人生や幸せのあり方を全体的にバランスよく想像する力、をみんなが持てているということがまずあるのだろう。そして、仕事する上でやりとりする相手との距離が離れているのも、不便なこともあるけどむしろ余裕があってこそ仕事もはかどる、的なマインドも共有できているんだろう。その上で、社会の仕組み的にも流動性が確保されているというか、別の都市に行っても技があれば仕事につけるというのがあるから、人生の組み立て方に選択肢がいろいろあると。人生を自分なりにフェーズ分けしていくということもやりやすい。ホームタウンで仕事して、今度はしばらく都心でバリバリやって、奥さんの仕事や子育てのためにまた別の場所にいって、また戻って、でもずっと自分のプロスキルを活かして進化してるみたいな。ハイキャリアの人も地方のホームタウンで質の高い仕事ができるし、企業側も質の高い人材を地方でバランスよく確保することもできるという関係。中心都市での人生も、地方での人生も、それぞれの魅力があって、どちらにも仕事の機会や文化が健全にあって、それをいつでも選んで移動できるというのは豊かな状態だろう。

しかし、そういう分散と流動性が確保された社会では、家族的、夫婦的な問題はおこらないのかちょっと気になる。移動することにバリアがなくて、情報環境や自由度が進化して、それぞれが色んな選択肢を意識すると、奥さんと旦那のモードが違ってぶつかることもあるだろう。そこでお互いに折り合いをつけて一緒に歩めれば素敵だけれど、「あなたはそっちいくのね。私は今はここがいいわ、じゃまた5年後に」という選択の自由もあるべきだと思う。で、そういう状況を想像すると、必然的にポジティブ離婚が増える気がするわけだ。いまのところ僕は、それを肯定的に捉えていく方がいい気がする。(つづく)



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