諸々の経緯は省略するけれど、3年前に仲間と宿をやることになって、行ったり来たりしているうちに、新島という場所は僕にとって特別な場所になった。その自然、人の素敵さ、コーガ石の家々・・魅力は色々あるけれど、東京なのに驚くほど静かな空気が流れ、商業的なものが少ない素朴な風景に、とにかく魅了された。最初は、好きな場所に自分たちの居場所をつくることや、宿をつくって人を呼ぶことへの興味から始まったのだけど、少しずつ、島の未来を意識するようになってきた。雇用が減ったり、テトラポットが増えて海の風景が徐々に変わっていったりと、気になる状況が目につく。どうすればこの島に安心と希望に満ちた未来が開けていくのか。島の人たちと話したり、財政の数字を調べたりする中で、それがかなり大変な課題だということはわかってきた。
問題の構造はこうだ。数十年前は離島ブームで観光収入も多く、人々は問題なく暮らすことができ、新しい家もいっぱい建った。その後少しずつ来島者が減り、観光産業の状況は大きく変わった。よりマクロな構造としては、この数十年で世の中のあらゆる産業がグローバル競争の中で集約化・合理化が進み、離島という地理的前提の不利がどんどん際立つようになり、地域産業の成立構造はどんどんシビアになった。そうして他の離島と同様に、2600人が食べて行くための経済構造は、徐々に公共の建設事業に頼る度合いが高まった。そしてここへきて、今後公共事業が同じ規模では続かないことが見え始め、同時に高齢化も進んでいる。補助金や公共事業なしで自立しよう、なんてことがどれほど難しいことであるかは調べればすぐにわかる。
今いきなり港の整備工事やその他の公共建設事業が仮に3分の1になったら、明らかに島の経済は立ち行かなくなるだろう。恐らく島民の半分は島を出て他の場所に仕事を探しに行くことになり、残った人の生活レベルは大きく下がり、現代における常識的な範囲の暮らしができなくなるかもしれない。暮らし方を変えればいい、とか、一次産業をがんばって自給率も上げて地域の資源を育てて行こう!と言ってすむようなものではない。とはいえ構造転換は当然に必要であり、その未来の構造のデザインを何とか描いていかなければいけない。いわゆる就職先、でなくとも、ここに住む人の”シゴト”は存在しなければならない。
この島が今後も美しくあってほしい、そして経済的にも成立し、ここに生まれ育った人たちが、ここに住みたいと腹をくくって思ったときに、贅沢でなくとも人間的に住めるような場所であるべきだ、という前提に立ったとき、今のままではそれは維持できないように思える。世の中の技術が進歩すると、離島にとって産業的な競争力は下がる方へ向くという構造は、例外はつくりえるとはいえ、マクロ的にはそう簡単には変わらない。みんなが自給自足でいけるかというと、それは100年前の生活に戻ることが前提になるような世界であって、それがいやならここを去れ、というのも早計すぎる。
まだまだ抽象的なレベルだけれど、僕は一つの仮説を立てている。それは、よく言われる「地域資源に注目せよ」というものを少し広げて考えたものだ。簡単に言えば、ここは地元の人の生活の場でありながら、東京首都圏の人のための、一つの公共性を持った場所、例えて言うなら「公園」と考えてきちんと島をデザインしていこうというものだ。今後も産業の都市化は全体としてはまだまだ進まざるを得ないのが現実であるが、そのとき都会の人たちの日常は今と同様あるいは今以上に息苦しいものになる可能性がある。そのとき、離島は大都市圏と組み合わせとして価値を持つ。高密度のマンハッタンの真ん中にセントラルパークがあるように、東京には、都会の風景や時間と切り離された島があるということは絶対に価値がある。それは単に静かで癒される風景や空気だけでなく、都会の人が人間的な心を取り戻すための様々な「体験」まで含めたものである。そしてその提供が島の人たちのシゴトになるようなイメージである。
新宿御苑の植栽管理をする人たちの給料を、税金でまかなうことに異論を持つ人はあまりいないだろう。もし例えば新島が都会に住む人たちにとって本当に価値のある空間や体験を提供することができれば、それに一定の税金が払われることも理解されるはずである。少なくとも、本来必要がないような公共工事における原材料費を膨大に払うことよりは安く済む話である(今の工事が不要だと言っているわけではないが)。新島は、本州本土の郊外・田舎とは異なる価値を提供できる潜在力を持っている。その価値は離島ブームの頃のそれとは違う、島の多くの人(恐らくは役場の人たちも)がまだあまり理解していない価値である。もちろん、そのためにやることは色々ある。必要なのはビジョンと感性と努力、そして先見的な判断である。
ただ、未来のあるべき構造が具体的に見えたとしても、いきなりそこにシフトすることは難しく、ある程度の時間をかけていく必要はある。今、島の建設会社も島の雇用を支える使命もきっと感じながらがんばっているわけで、単に建設から他へすぐにでもシフトしよう等ということは答えだとは思いにくい。シフトの手順として一つ可能性があると思うのは、10年20年後のビジョンを描いた上で、まずは土木的な投資を一気に減らすのではなく、まず土木投資の”中身”(まずは、額でなく)を変えて、未来象に向けての準備としての投資をしていくことではないか。それがどういう内容であるべきかを考えるところには、都会の人たちの創造性も発揮すべき部分がある。実際、今の新島はその自然資源を、来島者が見て感じることが極めて限定的にしかできないインフラ的状況がある。ここには、建築家とかランドスケープとか、そういう人たちにできることもあるはずだ。離島の個別の未来像を真剣に考えていく中で、地道なアクションや、コミュニティの話や新しい生き方の話とともに、ハード(建物ではないかもしれないが)のデザインの課題も未だあり、それは経済構造や価値観シフトの話と完全に同時的に考えいくべきものであると思っている。
まだまだ全然”わかっていない”よそ者の感覚でいい加減なことを言ってはいけないとは思っているけれど、自分の中での一つのテーマとして、人に考えを話して反論を受けたりもしながら、少しずつでも理解を深めたりアクションがとれればと思っている次第。
わたしは、いま暮らしている山村でリスクを負う「勇気」をもらう場づくりができたらと思っています。山里での生業(生活技術)に関しては地域の方(特に高齢者)に、林さんのような方々には、理論的な勇気を持てる英知(地域での法人化やマネージメント)を、と考えています。そして、コンサルや研究者の調査ではなく、共有できる経験を互いに増やし、在野の知と専門知が融合することで山村も都市も、教育・研究機関も徐々に変わっていかないかと夢想しています。失礼な言い方かも知れませんが、あなたのように本来エリートコースを歩むような人たちが、一人でも多く等身大の「特別な場所」を見つけることができたら可能性は広がると思います。/一般社団法人イコールラボ
こんばんは、林さん。
林さんのブログを見て、初めて新島に降り立った時の事を思い出しました。
お隣の式根島に行こうとして乗り込んだ東海汽船の船の上。甲板で知り合った人に釣られてうっかり新島で下船した時から僕と新島の関係は始まりました。
初めて会ったときからあったかく包んでくれた島の空気や人。まるで恋に落ちたように新島の虜になったのを覚えています。そしていつの日か、新島の人たちが自分の島をもっと好きになり、新島に住むということに誇りを持てる環境を作りたいと思いました。
新島ウェディングや他のプランの企画書を役所にアポなしで持ち込み、勝手に新島未来予想図を書いて話をしたこともありましたが、役所の人たちは自分たちの島のことを理解していないところも多く、温度差を感じました。けれどご存知のようにいま、島を愛する若い人たちが中心になって島を盛り上げようとしています。おっしゃるような危惧は僕も感じていますが、この島にはそのような”人”という素晴らしい財産があります。だから僕は新島がこれからも素晴らしい島であり続ける事を全く疑っていません!!ですよね?
世界のあちこちを覗いてきた旅人していくつかやってみたいプランもあります。
ぜひこれからもLINKして島を愛する心を育てていきましょうね!!
良い文章ですね。
ビジョンを持つ事、そしてアクション。
自分も、きっかけ作りの一つとしてWAXを生みました。
これからも。。。
通りすがり失礼します。
おっしゃる通りで、ひとつも異論反論ございません。
玄番さん、ありがとうございます。おっしゃるように色んな視点から動かしていく必要があると思ってます。持続的に関わりを持っていると、遠くから見るのとは全然違うイメージがわいてくるし、一方で普段は外にいることで、中から見るのとは違う可能性が見えてくる気がします。友人の言葉を借りると、ロマンとソロバンが両方必要なので、僕はいったりきたりする役回りであるべきかなと思っています。
フトシくん!ありがとう。今ここへきて色んなことが起こっているのは偶然ではないという確信はありますね。世代も少しずつ変わり、どこかで気づきやビジョンが花開くはずと思います。
新島には「島の人」、「国の人」、「旅の人」の3タイプの人が住んでいると言われます。
「島の人」とは、新島で生まれた人のこと。
「国の人」とは、新島の外から来て新島へ住んでいる人(死ぬまで)のこと。
「旅の人」とは、新島にしばらく住んで、いづれ島からはなれていく人のこと。
僕が12年ばかり新島に住み今感じることは、地域づくりには3タイプの各々に役割があって、そのタイプならではのスタイルで関わっていくことが大切だということです。
そしてその3つに僕は、「風の人」をもう1つ加えたいと思っています。
新島にちょっと寄る人、新島のことを外から想う人、外から風を送る人、時々来ちゃう人などなど、そういう人が「風の人」と考えます。林さんはこのタイプかな?
今新島にはこの「風の人」がとても大きな影響を与えてくれていると、僕はこの島にすみながら感じています。
島・国・旅・そして風の人がビジョンを共有し互いの役割を果たす時、少しずつこの島の未来が開かれていくのではないでしょうか。楽しみながらやっていきましょう。
こんにちは、ブログを読みました。
自分も島暮らしの難しさに直面している国の者です。
新島のお隣にある我島は、さらにスピードが早く過疎化が進んでおりまして
今出来ることを最大限努力しております。
今後様々なご意見等お聞かせ頂けたら幸いです。