パブリックワーク

October 25th, 2015

最近批判が飛び交っていたツタヤ図書館の選書問題について関係者に聞いてみた。問題というのは、古い実用書など価値がなくなっている本や、公の図書館としてそもそも合わないものを買っていた、しかも関連会社から、というやつである。僕が会ったあの会社の人たちは、仕事に対して高い意識や志を持った人ばかりだったので、どういう経緯だったのか興味があった。

で、やはり状況としては「まとめて仕入れたものを一冊ずつチェックする手間をかけていなかった、そのことは問題であり反省している」ということだった。「公の仕事において、それは許されない。買う側だけでなく関連会社も含めたモラルの問題であり、やり方を正していかねばならない」ということだった。

僕は古書の流通の現場についてはあまり知らないし、この件について深く調べたわけでもないが、少なくとも公の仕事の難しさというか微妙な部分について考えさせされた。

民間企業の本屋であれば、大量の本をまず仕入れようという場面において、その調達先に条件を伝えて入って来たものについて、全てチェックするかしないかをまず判断する。もし一冊ずつ確認するという作業をせずに価値のない本が混じった場合、それはただ「売れない」という結果とともに、徐々に店員が気づくなどして余計な本を排除しつつ、業者に対してクレームを言って次に活かすという流れになる。よほどヤバいものでなければ社会からの批判にはさらされない。そうした前提の中で、企業としては、一冊ずつ時間をかけてチェックしていくコストを払わず、一定の不良品率を許容するのも一つの真っ当な選択たりうる。

公立図書館ではそうはいかない。「この野郎!こんな無駄なものを買って!」と炎上する。全部チェックするコストをかける場合、中長期的にはそのコストは税金での負担にもなっていくわけだけど、そうした類いのコストのかけ方は、今までの公共事業の歴史を見ても、あまり問題にならないし、当然必要なものという話になる。もちろん今回のは、関連会社から買っているというのがイタいところなわけだけど、ともかく公金の使い方のべき論は微妙である。どちらが公的利益に資するのか?という話だ。より良い方法と、間違いのない方法、はイコールではない。

もちろん今回の件で、CCCはやり方を変えていくことになる。モラルに課題を残す流通側と、それを前提とした民間合理的な判断に対し、今回のような突きつけが生じることで、ある種の進化はあるだろう。

ただ一方で、公共の仕事というものの捉え方にも進歩が必要だと思う。ニセコの観光協会を株式会社にしたら、全ての宿を勧めるのではなく、いい宿を勧めることができるようになったと聞く。いいことだと思う。「まちの保育園」をやってる松本理寿輝くんは、保育園業界では株式会社であるだけで下に見られることも多かったと言う。社会福祉法人やNPOの、その下だと。でもそんな彼が一億総活躍の会議メンバーに選ばれたのは嬉しい話だ。

公の議論においては、民間の論理をすぐに逆側のものと捉えずに、相互に学び合って近寄っていくべきだ。





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