April 9th, 2013
去年5月の新島トライアスロンで、一緒に出た友人2人の腹がばきっとしてカッコよかったので、僕はもう1人の友人と「来年はバキバキに割ろうぜ!」「かけるか?」「おう!」とやったのだが、ずるずるしているうちにもう4月に入り、この時点であきらめることにした。
思えばこないだの仕事百貨のイベントでも「あきらめた人」というカテゴリで招かれ、そのときは「僕は”建築”をあきらめないために、”建築家”をあきらめたのだ」という得意の迷言(当然後づけ)でなんとかカッコつけたつもりだったが、今回はただ単にあきらめたダメなやつ、ということになる。挫折に至った理由は言うまでもなく、 「わかっちゃいるけどいっぱい食べちゃったんだよね。」 「わかっちゃいるけどけっこうサボっちゃったなぁ・・」 である。ま、どうせアメリカのパンツの宣伝に出るわけじゃあるまいし、別に腹なんて割らなくていいじゃんというのがあったのは確かだけど、思えば世の中そればかりという気がしてくる。
「この時間にラーメン食べるのヤバいよね。でも、食っちゃうよね。」というのも、僕らの仲間内ではダメというよりむしろ正しい価値観や美意識として認められてすらいる。「今のうちに宿題やんなきゃ後でつらいのはわかってるけど、遊んじゃうよね」「今日中に片付けないといけないのはわかってるけど、やっぱ今日はいいや飲んで寝よう」というのび太的な発想は世界共通、いや人間の本質である。我慢した方がいいのにキレちゃう人とか。いけないのに浮気しちゃうやつとか、今が大事、今を生きる、と。
不動産会社なんかだと「まあ今ってバブルなんだけど、他がみんな高く買うから高く買うしかないよね。しばらくはだいじょぶなんだから、ババ引かないように売り抜ければいいっしょ」となるし、商店街がなくなっていくとか個人店が消えて行く的な話も同じで、「街が大きなショッピングセンターだけになっちゃったらいやなんだけど、やっぱり安いし便利だし、行っちゃうよね。」「やっぱりDHCだね」「ユニクロだけが強くなるのもどうかと思うけど、やっぱり買うよね」 そうして街の多様性は失われて行く。
会社もそうだ。「儲かればなんでもいいってわけじゃないんだけど今儲かることしないと怒られるしね」という立場に気づいたら立ってしまっている人。「こんな主張はただの既得権益守ってるだけかもしれないけど、立場ってのがあるからね」「会社が巨大になればいいとは思わないけど、巨大になるよう努力しないといけないっていう構造になってるし、それは仕方ないんだよ」「店舗数増やして、シェア増やして、最後はどうなるの?っていうとよくわからないんだけど、停滞は死あるのみだし、今を生きるべきなんだよ」
人というのは、ほんとは長期的に考えると・・ということに常に向かって動くのはほんとに難しいわけで、じゃあどうすればいいのかというと、やっぱり、子供だったら母ちゃんが怖いとか父さんがなぐるとか、そういう話なんだという気がする。つまり倫理とか常識とか、それに基づいた法律とか罰則とか、いわゆるバランスのいい”縛り”というやつ。
今まで長い時間をかけて、侵略戦争はだめっしょ、奴隷とか人権的にだめっしょ、人殺すのまずいっしょ、という共通認識をつくってきたわけだけど、今は「経済的な侵略はどんどんしなさい」という前提の時代である。
もちろんそうはいっても「これから途上国はがんがんくるわけだし、自分の国だけ草食みたいな発想でやったら最悪なことになるよ」というのはリアルに理にかなった話なわけで、そうなるとやっぱり世界のインテリジェンスがどこかの段階で、高い目線できっちり”握る”しかないという話になってくる。国連とかダボス会議とか、ってそのへんあんまりわかってないけど、高い志も現実感覚も持った人たちが世界の前提となる”握り”を進化させてきたわけだし、これからリーダーシップをとっていく世代はかなり価値観的には準備ができてきているように見える。
個人的には、経済侵略とか短期売買とか、そのあたりの前提はあと20年くらいでさすがに変わるだろうと思っている(とはいえまるっきり変わるという話ではなく、サッカーにオフサイドやペナルティPKができるくらいのルール変更くらいでも解けるのかもしれないけど)。もちろん、そうして世界の前提が変えるまでは・変えるためにも、まっとうな成功事例をつくっていくのが正しい。
根本的に「意志」は長期ベース、「欲」は短期ベースだけど、欲が意思を邪魔するわけで、だから長期最適のためにはコントロール、縛りが必要である。自分の腹割り論で言うならば、先に罰ゲームを決めていたら、がんばれていたような気はけっこうする。要するに事前の読みが、自分の弱さへの認識が、甘かったわけだ。わかってはいたんだけど。
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わかっちゃいるけど
April 9th, 2013
去年5月の新島トライアスロンで、一緒に出た友人2人の腹がばきっとしてカッコよかったので、僕はもう1人の友人と「来年はバキバキに割ろうぜ!」「かけるか?」「おう!」とやったのだが、ずるずるしているうちにもう4月に入り、この時点であきらめることにした。
思えばこないだの仕事百貨のイベントでも「あきらめた人」というカテゴリで招かれ、そのときは「僕は”建築”をあきらめないために、”建築家”をあきらめたのだ」という得意の迷言(当然後づけ)でなんとかカッコつけたつもりだったが、今回はただ単にあきらめたダメなやつ、ということになる。挫折に至った理由は言うまでもなく、
「わかっちゃいるけどいっぱい食べちゃったんだよね。」
「わかっちゃいるけどけっこうサボっちゃったなぁ・・」
である。ま、どうせアメリカのパンツの宣伝に出るわけじゃあるまいし、別に腹なんて割らなくていいじゃんというのがあったのは確かだけど、思えば世の中そればかりという気がしてくる。
「この時間にラーメン食べるのヤバいよね。でも、食っちゃうよね。」というのも、僕らの仲間内ではダメというよりむしろ正しい価値観や美意識として認められてすらいる。「今のうちに宿題やんなきゃ後でつらいのはわかってるけど、遊んじゃうよね」「今日中に片付けないといけないのはわかってるけど、やっぱ今日はいいや飲んで寝よう」というのび太的な発想は世界共通、いや人間の本質である。我慢した方がいいのにキレちゃう人とか。いけないのに浮気しちゃうやつとか、今が大事、今を生きる、と。
不動産会社なんかだと「まあ今ってバブルなんだけど、他がみんな高く買うから高く買うしかないよね。しばらくはだいじょぶなんだから、ババ引かないように売り抜ければいいっしょ」となるし、商店街がなくなっていくとか個人店が消えて行く的な話も同じで、「街が大きなショッピングセンターだけになっちゃったらいやなんだけど、やっぱり安いし便利だし、行っちゃうよね。」「やっぱりDHCだね」「ユニクロだけが強くなるのもどうかと思うけど、やっぱり買うよね」
そうして街の多様性は失われて行く。
会社もそうだ。「儲かればなんでもいいってわけじゃないんだけど今儲かることしないと怒られるしね」という立場に気づいたら立ってしまっている人。「こんな主張はただの既得権益守ってるだけかもしれないけど、立場ってのがあるからね」「会社が巨大になればいいとは思わないけど、巨大になるよう努力しないといけないっていう構造になってるし、それは仕方ないんだよ」「店舗数増やして、シェア増やして、最後はどうなるの?っていうとよくわからないんだけど、停滞は死あるのみだし、今を生きるべきなんだよ」
人というのは、ほんとは長期的に考えると・・ということに常に向かって動くのはほんとに難しいわけで、じゃあどうすればいいのかというと、やっぱり、子供だったら母ちゃんが怖いとか父さんがなぐるとか、そういう話なんだという気がする。つまり倫理とか常識とか、それに基づいた法律とか罰則とか、いわゆるバランスのいい”縛り”というやつ。
今まで長い時間をかけて、侵略戦争はだめっしょ、奴隷とか人権的にだめっしょ、人殺すのまずいっしょ、という共通認識をつくってきたわけだけど、今は「経済的な侵略はどんどんしなさい」という前提の時代である。
もちろんそうはいっても「これから途上国はがんがんくるわけだし、自分の国だけ草食みたいな発想でやったら最悪なことになるよ」というのはリアルに理にかなった話なわけで、そうなるとやっぱり世界のインテリジェンスがどこかの段階で、高い目線できっちり”握る”しかないという話になってくる。国連とかダボス会議とか、ってそのへんあんまりわかってないけど、高い志も現実感覚も持った人たちが世界の前提となる”握り”を進化させてきたわけだし、これからリーダーシップをとっていく世代はかなり価値観的には準備ができてきているように見える。
個人的には、経済侵略とか短期売買とか、そのあたりの前提はあと20年くらいでさすがに変わるだろうと思っている(とはいえまるっきり変わるという話ではなく、サッカーにオフサイドやペナルティPKができるくらいのルール変更くらいでも解けるのかもしれないけど)。もちろん、そうして世界の前提が変えるまでは・変えるためにも、まっとうな成功事例をつくっていくのが正しい。
根本的に「意志」は長期ベース、「欲」は短期ベースだけど、欲が意思を邪魔するわけで、だから長期最適のためにはコントロール、縛りが必要である。自分の腹割り論で言うならば、先に罰ゲームを決めていたら、がんばれていたような気はけっこうする。要するに事前の読みが、自分の弱さへの認識が、甘かったわけだ。わかってはいたんだけど。