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野心論

April 27th, 2019

最近久しぶりに三国志の漫画を読んで、思ったこと等。

僕は、歴史とか政治といったジャンルは弱いタイプである(他にも当然いろいろ弱いジャンルはあるが)。この5-6年になって仕事でようやく行政とかにも関わろうかということになって、政治の構造についても考えることがでてきたものの、政党がそもそもなぜ必要なのかもいまだに深く理解できていない。そして人文系より自然科学や表現系に寄ってやってきたので歴史も文学も浅い。

国会中継などでしょうもない突っ込み合いしてるのを見ると、おいおい・・と普通に思うし、政治家というのは国のマネジメントの中身よりも権力闘争の方に意識とエネルギーが行かざるを得ないものなんだなぁ、それってどうにかならんのかねぃ・・と思いつつ、その理由や構造をちゃんと理解できていなかった(今もだけど)。

自分なりの整理として、政治の世界では権力闘争で勝ち残ることは、僕ら民間が生き残ってテーマを追求するために利益を確保する努力をするのと同じようなものなんだな、と思うことにしている。選挙で勝って万歳三唱してるのもなんだかピンとこないところがあるけど、我々も最高売上だとなればイェ〜イとなるし、まあ同じよね、と。ビジネスでも、目的と手段が多少こんがらがる場面はあるもんだし、手段がうまくいくこともゴールの一部だしな、とか。

で、三国志(漫画だけど)を読んでいると、このあたりのことをつい考える。劉備は、人民の平和と幸福に対する強い思いがあり、漢王朝の復権はそのための手段であり、単に天下を取ることが目的なわけではない。諸葛孔明は「戦い」のディレクターであるが、戦いに勝つことが目的ではやっぱりなくて、国のために誰が天下を取るべきかという判断として、劉備を勝たせるために知恵を出している。

だが三国志というのはその「戦い」が物語の全てなわけだ。勝った上でこういう治世をしていくんだとか、こういう技術を生み出して世を進歩させるんだとかいう話は、ない。三国志に限らず、歴史の話はだいたいそれがメインになっているわけで、そういう意味で正直言うと僕は、歴史というジャンルが不思議なのである。戦って勝つことはゴールじゃないじゃん、文化史や社会の形の進歩みたいのがメインじゃないの?と、つい思ってしまうわけだ。今でも国際情勢は重要だし、国内政治も大事なのは当たり前なのだけれど、社会システムや技術や文化の進化こそが人類の進歩の歴史であって、誰が誰にどう勝ったというのはメインじゃなくない?と考えるタイプなのである。

だが三国志は面白い。戦いの歴史は面白い。

人間には、ソーシャル野心と勝利野心(支配野心)と表現野心(創造野心)があるように思える。マズローでいえば自己実現欲求の中の話として。僕自身は、ソーシャル野心と表現野心が大きくて、勝利野心は割と小さい。リスペクトはされたいが、人に勝ちたいという感覚は薄い。割と善良で平和な人間なのである。

芸術家は表現野心が圧倒的に強く、事業家はソーシャル野心が強い人もいれば創造野心が強い人もいるし、勝利野心だけじゃんみたいな人もいる。スポーツの偉人たちはどうか。ここでいうなら勝利野心のように一瞬、思える。だがスポーツにおける勝利野心は、人を負かすというより、がんばって結果を残すということ、自分の能力や可能性に対する挑戦、の一形態である。そう考えるとちょっと違う気もしてくるし、3つの野心の分類がナンセンスなのかも、とも思えてくる。いずれにせよスポーツの人たちの野心は、美しく、人にわくわくを与える。ここでは勝利野心は良いものである。そして、競争は人や社会を成長させるということを考えれば、勝利野心が悪いとはもちろん言えない。

しかし政治に関しては、勝つことがゴールでは困る。もちろん芸術家も、勝つことがゴールではない。ビジネスは微妙だ。そもそも勝つことがゴールではない方がいい。だが少なくとも今のシステムは、最大限稼ぐことがミッションであり、勝つことが正義であるというシステムがある。そして勝利する事業家は「すげえ!」と言われ憧れられる。それだけなら全くもって問題ないのだが、やっぱり、勝ち残った上でどれだけ世の中に良き前進を生み出すのかということよりも勝ち負けとか時価総額を主軸に評価するようなところが強く、いまだにビジネスの「成功」とは稼ぎ勝ち残ることを意味しがちである。規模拡大の野心が弱く、成長とは文化的影響力の進化であるとする僕からするとモヤモヤするのである。

三国志の時代には、平和を維持し社会を安定させるために権力を守る必要があり、そのために戦うことで精一杯だったのだろう。それから世の中は大いに前進したから、今の時代に劉備や孔明が生きていたら、殺し合いに人生のほとんどを費やす必要はないだろうし、世の中をどうするかについて考えることにもっと費やすことになるのだろう。あの時代は、疫病や飢饉にどう対処しようとか、税制をこう改革しようといったようなことは、やっぱり集中しきれなかった。
そういう意味で、これからも少しずつ、戦いを減らして、そのエネルギーを世界の幸福持続のための知恵に向けていけるようになるのだろう。

政治の世界では今でも、権力闘争のために、国会で安倍さんにクイズを出しまくったりして数百人の国のリーダーたちの時間を使っている。殺し合いはしなくなったけど、戦いがメインである時代はまだ終わっていない。ビジネスの成功の基準が規模や時価総額のみであるような社会も、ダサいと思う。政治でも、選挙というゲームに勝ったチームが世界を定義できるというルールがいいのかよくないのか僕にはよくわからないが、あくまで自分は戦わって他を倒すことなく進化や感動を生み出したい。

しかしそうはいっても、歴史は戦いこそが面白い。スポーツは言うまでもないが、ビジネスの勝ち負け物語も、やっぱり面白い。そしてそこには、美と感動もある。それは僕らに本質的に備わっている勝利野心のミラーなのかもしれない。

今回のマンガ三国志の感想文はとりあえずそんなところで、「だからどうするの?」まで至っていなくてすみません。
ちなみに今回の三国志での最大の収穫は、自分と相棒と新たな役割論の発見に結びついたことだった。世の中を変えるようなヒントを得るところまではいかなかったものの、自分たちのチームの未来と日常に、そして自分のささやかな寝る前の時間の楽しみには大いに役立ち、やっぱり戦いの話はいいのぅ、と思ったのだった。



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