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タワマン

March 15th, 2020

ある自治体仕事の締切的なやつがあって、ここ数日ずっと鬼のようにキーボードを叩きまくっている。木曜金曜土曜と続けて、夜中の2時すぎまで24時間営業の喫茶店にいた。今日日曜も1時間のジム以外は10時間以上集中し続けている。誰か褒めてほしい。まあこれまでずっとサボっていたのが原因ではあるのだが・・

いま僕は、operation exellenceの鏡である珈琲貴族エジンバラにいるが、ここは日曜の23時でもほぼ満席の賑わいである。そのなかで僕は鬼の形相でパソコンに向かっている。リア充でないことは確かだが、たまにはそんな時もあるだろう。しかしさすがに疲れたので息抜きでこれを書いている。

つい30分前、今晩はまた2時コースだなと腹を括り、家だと一瞬で寝て終わるのでチャリで爆走して新宿まで来たわけだが、その途中でイヤなものを見た。それは「すみふ」のオフィスとマンションである。

すみふとは住友不動産である。僕はすみふが嫌いだ。といっても個人的に嫌いなだけで、当然ながら大変立派な会社であり、まったくもって健全経営である。すみふ出身の友人たちも結構いるが、みんな仕事はできるし人として魅力的なやつばかりである。すみふのタワマンに住む友人も人としてとても素晴らしかったりすることは認めざるをえない。

先ほど目にしたすみふのタワーたちは山手線沿いにあった。かつてそこに何があったのかは知らない。跡形もないからわからない。いかにもちょい贅沢風味のライティングに照らされたいかにもな草むらがタワーを囲み、その向こうに何棟かのビルがそびえ立つ。一見するとBMWとかで入っていくのが正解、みたいな感じになっているが、よく考えたら馬場と大久保の間でカッコつけてんなよ・・という感じである。

こういう開発が嫌いだとか言うのは、貧乏性か、おっさん世代のプチ文化系といったところであろうか。つまり自分。貧乏性のプチ文化系とはこの俺である。しかもガリ勉出身の不動産屋だからこういう開発がどういう理屈でたくさん行われるかはよくわかっている。どう考えても合理的で、批判したところで止まることはないと知っている。

ところで僕はかつていたビジネス系の世界の友人らから「お金に興味ない人だよね〜」とか言われる。興味ないわけではないのだがそれほどない。食うに困るとか将来に大きな不安を感じないくらいには稼いでいるが、好きでない仕事をしてまで今以上に稼ぎたいとは100%思わない。それはつまり好きな仕事で今以上稼ぐ能力がないということなのだがまあ置いておこう。
僕は48とかになっても出張でホテルに高いお金を払うのは無駄と思い安宿を探すし、回らない寿司に行くことはあっても星付きレストランのスタンプラリーみたいのは恥ずかしいとすら感じる。仮にベンツをタダでもらってもチャリの方がカッコいいだろと思う(ポルシェなら戴くけど)。かつては「ここでこっちの道に行けばけっこう金持ちになるんだろうな」と思いつつ逆の選択をしてきた。貧乏とは言わないにせよ、貧乏性的要素は十分にあると思われる。こういうタイプにすみふ嫌いは多い。タワーより低層がいい、スカした店より裏道の古い店がいい、という類の志向である。

しかし僕は誇り高き貧乏性である。自分なりの幸福最適の戦略としてそれを保っている。たぶん余計なコガネを手にするとついついスカした店に行き、下手するとすみふのタワーに住んだりしてしまうのではないかと恐れている。そんなことをしたらこの東京がさらにイケてない街に変貌していくことに加担してしまうと考えるのである。実際のところ、よく言われるように一定のラインを超えると幸福度と収入は相関しないと実感もしている。自分の所得を上げるより会社に置いておいて事業に使う方がいい。

話がそれたが、ほんとうは嫌いなのは贅沢風味の空虚な足元に囲まれたタワーであって、それはいろんな会社がつくっている。すみふだけを嫌いと言うのはフェアじゃないかもしれない。しかし、他の大手たちはすみふよりも街のことを丁寧に考える。すみふはそんなことは考えない。ビルの収益に集中する。そうするのが健全経営のコツたりうるのである。

行政としては所得の高い人が多く住む方が財政が健全化するからそれを望む。所得の高い人を多く集めるには高級マンションをつくるのが王道である。ゆえに工場跡地にタワーが建ち、小さな土地を買いあさって整理してタワーを建てるならば区はルールも変更して応援する。基本的にお金持ちにタワー好きは多いものだ。そういう志向性の方がお金と相性がいいのである。そういう国であり時代なのである(まあ金持ちでなくてもタワー好きが多いんだけど)。

こんなことを書くと「それ、グチじゃん」と言われそうだ。その通りである。だが自分としての自分のためのまちづくりがここにあるのである。僕の友人知人たちにはいろんな志向を持つ人たちがいて、みんな好きなのだけれど、自分と風情的な好みや美意識が同じわけではない。クリエーターと言われる人たちはその意味では近い側にいることが多いとは思うが、立派なビジネスマンたちは逆側にいる人も多い。

僕はこうして密かに少しずつ、メインストリームで稼いでいるビジネスマンたちにメッセージを差し込むのである。日本のディベロッパーがつくるタワーはダサいのだ。キモいものなのだと。これはある種の投票行為でもあり、世間の価値観を自分が望む方向に1mmずつでもズラそうとする幸福追求行為の一部なのである。そして僕の仕事というのも根本的にそういうことであって、全くもって利己的なものである。ただその利己的行為が利他的な意味でもポジティブなものになるために、僕は貧乏性としての自分を擁護しているのであり、そこにおいて自分の価値観に対する信頼があるのである。

・・こうして今日の仕事の終了時間がまた伸びてしまった。鬼の形相でパソコンを続けます..



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