前橋にて
December 22nd, 2020
この前の週末はコロナの関係で大阪行きがなくなったので、溜まっていた仕事の考えごとをがっつりやろうと思って家の近所でPCとノートを前に作業していた。夕方になってどうも集中力が落ちてきて、場所を変えようと思い立ち、どうせなら少し離れたところに行こうと、突如電車に乗って前橋に向かってみた。
噂のshiroiyaホテルを皆より一足先に見てやろうという建築ミーハー心も若干あったが、僕はそもそもぶらりと地方の旧市街を観察するのが好きなのである。shiroiyaは建築家部屋が埋まっていたし、むしろ気楽にドーミー温泉でよしと決めて予約し、夜遅くに前橋駅に着いた。
駅周りは想像以上に静かで、東急ステイ以外に高いビルもほぼなく、店もチェーン店がポツポツある程度であったが、僕はそれに対して「ふっ・・どこも同じ風景だな・・地方の駅前はつまらんな..」とか言うタイプでは実はないのである。ヨーロッパだって地方へ行けば駅前には何もなく、少し離れた旧市街に「街」がある。電車の駅に集積をつくることに風情などないのである。
夜遅くに着いたとはいえ、露天風呂とサウナに入って寝るだけじゃ嫌なので、お約束のように無駄に広いメインストリートから裏道を経由して旧市街(というか商店街)に向かった。
Shiroiyaホテルのファサード(というか”丘”っすね)を見てひとしきり感嘆した後、街で一番いいと言われているオーセンティックバーに入った。
行きの電車から考えていたことをまた考えながら難しい顔をして一杯目を飲み干したところで、マスターとの会話が始まる。
「前橋には仕事か何かで?」
「いえ、なんというか、街の様子を見にぶらりと」
「ほぅ・・そうですか・・・・ここも、衰退、ですよ・・」
「うぅ、まあでも白井屋さんとか、最近変化がありますよね?」
「ご存知ですか。起爆剤になればよいのですが。」
「あれもJINSの田中社長のプロジェクトですよね。」
「ほぅご存知で。ドラ焼き屋さんとかパスタ屋とかも田中さんが仕掛けてますが、並んでるんですよ。いいことです」
そんな具合でマスターの街への様々な思いが見え隠れし始めるこうした瞬間が僕は好きだ。
そもそも自分は大して酒も飲めないが、夜の街にダイブして地元の人の話を聞くにはバーが気楽なのである。いいバーのマスターはたいてい街についてそれなりの眼差しを持っている。
「あれを見て街の経営者は分かれるんですよ。刺激を受けて、”求められるものをつくれば人は来るんだ”と考える人と、”あんなもん流行りものだ、けっ”と考える人とにね」
「前向きになるべきなんです。バーの商売も向かい風ではありますが、これはビジネスだけじゃないので・・文化なんてことは偉そうに言えませんけれど。ともかく頑張らなきゃと思います」と、自分の仕事へのプライドとこだわり、街への愛を覗かせた。
「いやぁここはほんと素晴らしいです。万人にとってではなくとも、この店で過ごす時間を大事に、いや誇りに思っている人たちがいますよね。」
そんな話をして僕はとてもよい時間を過ごしたが、マスターから見ればまあ謎なキャラだったことだろう。
翌朝は目をつけたレトロ喫茶が休みでがっかりした後に気を取り戻し、新しめのカフェに入った。驚くほどの素晴らしいハニートーストを平らげた後、またパソコンを開く。RESASで前橋の製造業のこの20年の雇用激減の様子などをチェックしていると、確かに街中にいくつかの魅力的な店が現れたからといって、それだけでは大きな流れは変わらないだろうと思えた。街なかに新たな小さな兆しが生まれることは、確実に小さな希望を生み出す。だがその上で中規模な再編集、リデザインが必要である。
今は旧市街が辛い局面を迎えていても、経済とコミュニティがまだまだ前向きに持続しうる余地のある日本の地方都市はたくさんある。そうした旧市街を居住を含めて再編集するリデザインの方法は、これまでの再開発とは異なる新しいものであって、新しい制度も必要なものである。それは自分のこの数年のテーマであり、その仮説を徐々に温めるために街を訪れる。まだまだ霧がかかったような状態だが、前橋の夜にも少し前進はできた。
それにしても、東京で生まれ青春を渋谷で過ごしたクソエセCITYBOYの自分が地方都市うんぬんを考えるなど、クソだな。と思うこともないわけではない。バングラディシュの子供達のことも考えるわけでもなく、東京のオシャ空間も追っかけるくせに何を言うとるんやこのエセ都会クソ野郎が、と。
「地方?成り立たなければ、なくなりゃいいじゃん。」とか思えないのは実際のところどうしてなのか。問題解決オタクなのか?役に立って褒められたい願望か?それもあるかもしれない。確かに、順調なことより悩ましいことに興味がいく性分ではある。ひとひねり必要だからこそ俺の出番!みたいな。そういう偉そうな自己肯定と褒められがりな性分があるのだと思う。
とはいえ、わからないけど、活気が失われる街を見ると寂しくなる。いいなぁ、面白いな、幸せだな、と思える街が一つでも増えてほしいという本能的な気持ちがある。
翌日に、フクシマの双葉町で壁に絵を描く活動を進めているoverallsの面々と会ったとき彼らは「なにこの街!と人がワクワクすること。それをまずやるんです」と言った。
なにこの街!という感動を求めてまた色んなところに旅したいなぁ、と思った。
帰り側に、長坂常の流石の空間から出される旨いアンコの入ったおやつを食べながら、この街でおれの出番があるとしたら何だろうと思って歩いている時、連なる駐車場たちを見てちょっとしたイメージが出てきた。次はその提案でも持って訪れよう、と無駄に意識高めのオレに酔いながら帰途に着き、パソコンまみれの日常に戻った。リア充な週末だった。