常さん

April 7th, 2016

先日、長坂常が設計した住宅に行ったんですが、いやおもしろかったですね。彼らしい設計で、ほぼ既存の建築から引いただけでつくったような空間。僕自身は、この家に住んでたら創造欲わくなあ、と思ったし、寒そうだけど意外とストレス少ないかも、とも思いました。

で、おもしろかったのが、住んでいる家族のうち、僕はお母さん(奥さま)と話したんですが、彼女はもともとタワマンに住みたいと思っていたし、今でもそういう思いはあるという。そこで「え〜それはツラいですね、この家なんてすごい嫌いなんじゃないですか?!」「この先こどもも大きくなっていじるとなったら長坂さんに頼みますか?」と聞くと、意外なことに「気にいっていますよ。寒いし収納たいへんだけど。次いじるときも長坂さんに頼むと思います」と。

その家をつくる過程はご主人がメインでやりとりをしていたらしいんですが、奥さまは自分の要望も聞き入れられない部分も多かったりで、途中でやりとりに入ることを放棄したらしいのですが、結果的には、好きだという。柔軟な感性を持っているのでしょうが、ともかく彼女は新しい発見をしたのですね。多様な感覚を理解するというのは世界が広がっていいものですね。

ところで、世の中にはコンセンサスをとるのが難しい場面というのが多いわけですが、僕はそういうときに「多様な意向を共存させよう」という方向でコンセンサスをとって、そこからさらにいい答をつくろうとすることが割と多いのです。強度のあるデザインをするためにはみんなの考えを民主的に集約したらアカンということはもちろんあるので、そのあたりの見極めは慎重にしますが、間に答えがある・共存の仕方にこそビジョンが宿る・いいとこどりがベスト、といった状況はけっこう多いと思います。「深く考えればハイブリッドが一番いい」という場面で、浅い両極の意見で戦って進まないのは最悪です。

話がそれましたが、上の住宅の話でいえば、一つのものをハイブリッドでつくるという話では必ずしもありません。しかし、タワマンの価値と長坂常の価値は、同じ人がそれぞれに対して同時に感じることがあるのだということを改めて捉えてみると、長坂常がタワマンを設計したらいいのではないか。とはあまり思いませんが(失礼)、多様な選択肢があって、それを柔軟に選ぶことができ、かつ各々がいま想像している世界とは違う世界に偶発的に引き合わされることもしばしば起こり、だめならまた選び直せる、という社会や都市のありようを設計していくのがいいんだな、というぼやっとした確認をした次第です。(R不動産なんかはそういう設計にしているわけですが)。





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