教育の話

April 14th, 2018

僕は数年前から「このあとの自分のテーマは都市計画と教育だ」とか「それらのあり方を進化させるような仕事を自分なりにつくっていきたい」みたいなことを言ってみたりしていたのだけど、そうしているとちょっとずつリアリティが増してくる感じはやっぱりあります。

で、教育についてはまだ何か考えてるわけではないのですが、さすがに自分が親になってみると確かに自分ゴト感はぐっと増してきました。仕事とか事業とかはもうちょい経ってから考えるつもりですし、家族マターとしてもまだ1歳になったところで具体的な計画なんかはないのですが、しいていえば自分の子供に関しては「頭を柔らかくしたいな」という思いだけはあります。

人は何かを突っ込んでやってみるとなんでもそれなりに面白くなっていくものですが、それは頭が柔らかくて、自分なりに深めたり広げたりすることがクセになっていてこそ、な気がします。そして頭が柔らかければ、既存の常識にとらわれない価値観・やり方で自分なりの人生を創り出していけるし、多少厳しい環境になっても幸せに感じるように発想転換できるし、時代の変化にも適応できるような気がします。また、頭が柔らかければ、アホになれて自分も面白くなれるし、人から見ても面白い人になりやすく、結果として幸せに生きられると思うわけです。

3歳くらいまではとにかく絵本とか音楽とかパズル的な?やつとかで情操系をやろうと思ってますが、そのあと徐々にやりたいと考えているのは「なぜなぜ教育」です。

これは簡単に言えば、子供に対して「それはなぜ?」と問いかけまくるということです。そして子供自身もやがて「なぜだ?」と自然に考えるくせをつけようというものです。(ほんとは大人でもやった方がいいんだけど)

日本人は自分の意見主張は苦手だと言われますが、そもそも自分なりの「問い」を発する訓練が足りないと思います。問いを生むことを訓練していないと、考えに幅ができなかったり、偏った感覚的な思いだけで意見を固めてしまうようになると思うのです。保育園うるさい!みたいな類の話も、人の立場を考えたり、広い視点で考える力があればもっとマシなことになると思うわkです。

問いの力を育てるにも、そしてそれに対して考えていく力を育てるにも、カギは「因果関係を掘り下げること」だと考えています。「因果関係を掘り下げる」訓練の積み重ねは、論理的な思考にもデザイン思考にもつながると思うし、それをやればやるほど結果的にいろんな発見をして、頭が柔らかくなっていくことにもつながるのではないかと。(当然ながら、言語を介さない感性の側の方も同時にやる前提。)

かつて僕ははじめて就職する前に、建築の道を離れてビジネスの世界に行くことを決めたのですが、面接で落とされないためにビジネスや経済のことを学ばないとあかんなと思いました。ですが時間が迫っていたため「なぜなぜ5回」という勉強法をやりました。

日経を読んで「なぜ」を5回やる。
例えば「A社とB社が合併した」という記事があったとします。当時の僕にはどういうことかよくわからなかったわけですが、まず「なぜA社とB社は合併するのか?」と問います。で、自分の答えとして「合併する方が収益が上がるからだろう」だと。まあ単純です。次に、「 なぜ合併すると収益が上がるのか?」と問い、「効率が上がるからだろう」と答える。
「うーん、なぜ効率が上がるのか?」と問い、「同じことしてる人がいるからその分の仕事が減らせるから?」と。
「なぜ無駄な仕事が減らせるといいのか?」「うーんと、新しいことできるから?」といった具合。
これがとてもよかったのです。いつのまにか理解も進み、知識アンテナも敏感になり、気づいたら色んなうんちくや自分なりの考え方を語れるようになっていったりもしました。
そういうのがそのときからクセとして強化されたため、いまもよく「この場所にはなんでこんなに人が喜んで集まるんだ?」みたいなとこからなんだかんだと因果関係を堀り始めてしまうことが日々あります。たまに疲れますが。

で、問いをつくるとき、答えを考えるとき、その両方で視点を広げる必要に迫られます。因果関係とともに一つの記事を掘り下げると、理解は深まり、視点も広がります。因果関係は論理で掘るものでもある一方で、それを問うときには想像力も必要なので、問いを出すのも答えるのも、論理力と想像力の両方を行ったり来たりするのです。

僕はこれを授業にすればいいと思っています。とにかく色んな問いを持ち寄ってみんなで掘る、みたいな授業のイメージ。理科とか社会とかいう括りとは別にあってもいいし、もしかしたら各科目の教え方をそっちに思い切り振るんでもいいのかもしれません。
先生は新しい分野を教えるのは大変だから、なかなか教育が変わらないのが現状ですが、「なぜだと思う?」というコーチングはそこそこ誰しもできるように思います。「それはね・・」という答えはそのうちAIでできるでしょうから、むしろ「なぜだと思う?」の働きかけや場づくりには、人間だからこそできる何かがあるような気がします。右脳と左脳の思考力と、好奇心。これらを育てるにはこの方法がよい気がします。もしかしたらそのうち、自分がなぜなぜおじさんになって塾でも始めてしまうのではないかと恐れています。

最後に、それとは別に企画学校のアイディアがあって、どこかでやろうと思っているのですが怠け者ゆえまだできておりません。そう遠くないうちに機会をみつけてやってみたいと思います(とりあえず言っておく系)。





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