質と量

August 4th, 2012

学生の頃のある日、友達と話していて気づかされたことがあった。それは「いいものが必ずしもいっぱい売れるわけではない」という、今思えばあまりにも当たり前の現実の話なんだけれど、そのとき僕は「そうか!! やはりそうなのかあああ!!」とやけに反応して、ある意味合点がいったのを覚えている。確か岩波映画がなくなるという話だか何かから、そういう話になったような気がする。別にそれ以前も、いいものは売れるはずだと信じていたとかいうわけではなくてむしろ、そうでもないんだなと感じつつ大して意識的に考えていなかったというだけだと思う。

で、そこから今に至るまで、そのことについてはいつも考えたり壁にぶつかったりしてきた。だいたい自分がおもしろいと思うものはど真ん中のメジャーではなくて、一方で超マニアでも超最先端でもなくその間であることが多いから、自分がイメージすることは大当たりするでもなく圧倒的固有でもないというようなコンプレックスがあった。本当はこういうものを多くの人が買ったり体験した方が世界はよくなるのに世の中では売れないのはいかがなものかとか、一見わかりにくいけどいいものを広げるにはどうしたらいいのかとか、はたまた、自分がいいと思うものをつくればいい、売れるかどうかなんて関係ねえ、と言えちゃうほど自分が確立できていないとか、そんなことを毎日のように考えてきた気がする。

本当にいいものは多くの人が感動するんだ、というのもあるけれど、多くの人が理解し賞賛するものだけがいいもの、というわけでもない。難しいことを誰でもわかるように説明することは素晴らしいけど、一部の人しか理解できないけどものすごい価値があるものはある。メインストリームになっていくエッジもあれば、そうはならないエッジもあって、どちらがいいかは一概に言えない。

昨日、内沼晋太郎くんや島浩一郎さんのやっている下北沢のB&Bという本屋にいって、Brutus編集長の西田さんとBeamsのバイヤーのボスである南馬越さんのトークというのを聞いたのだが、本屋自体と同様、期待した以上に楽しいものだった。僕はファッションの話は深いところは全然わからないけど、上海小吃で下ネタ全開だったマゴさんがプロとしてどんなふうに動いているのかが垣間見えてとてもおもしろかったし、お2人の、世の中に一歩前の時代感を見せていく役割とか、ビジネスとのバランスとか、それらにおいて必要なあざとさとか、自分の普段の興味の軸に沿った話もいろいろあって飽きなかった。最後には、R不動産の本もつくってくれている菅付雅信さんも壇上に混じってこれまたシャレた流れになったのだけど、そこで一人の若者が「かつてはエッジなものやカルチャーを伝える雑誌が多かったけど、どんどんなくなっている。平べったいものが受けるようになっている。エッジなことというのがもう求められていないのか?」というような質問をした。そしたら菅付さんは「新しい考えやカルチャーというようなことの、総量は変わらないと思う」と。「以前はそれがもっとパッケージされていたけど、今はそれがパッケージとして伝えられたり流行っていったりするわけじゃなくてもっと自然にあるんじゃないか。こうしてトークイベントがやたら増えたりデモが増えたりしてるのも含めて」と。

ある時代には、その若者のいう”エッジなこと”は、広告なり雑誌なりファッションなりという形でビジネスにいっぱい落とし込まれ、人はその情報・メッセージをお金で買う構造になっていたんだけど、そうじゃなくなってきた。そもそも親の世代の頃はマルクスとかサルトルとか読んでムズかしいこと考えて議論するのがシャレオツだったようだし、僕の生まれるちょっと前までは学生運動で石投げるのもある意味でかっこよかったんだろうし、今(あるいはちょっと前)でいうところの”クリエイティブ”的なことやビジネスが、粋の分野的にメジャーであったのもそんなに長い歴史ではないんだろう。粋や風流や芸術はもちろんいつの時代もあるし、そこにトレンドもあるものだけど、70年代くらいからの大きな波が転換点に来てるんだろう。そして新しいまっとうな世界や価値観を追求するところにおもしろいエッジな話はどんどん生まれていて、それは別にファッションやアートの雑誌に出てくるものでもない。(もちろん本当のエッジというのはそもそも雑誌に出てくるものでもないので、あくまでちょっと先を行く感覚や情報みたいな話のことだとは思うけど)

で、トークを聞いていて思ったのは、質と量みたいな話。マゴさんは多分ビームスで一番売れる商品を買ってくるバイヤーというよりは、自社の存在の意味を保ち磨くための動きをしている人で、西田さんはBRUTUSを多く売る使命もあるけれど、恐らく部数の拡大が至上ミッションとは捉えていない。人や経済の健全なあり方を考えれば、それは正しくて、質と量が長期的にうまく回っていく感じをちゃんとわかっているんだと思った。例えば僕はマガジンハウスはその事業全体を拡大していくことを目指せばいいと思うけど、それはBRUTUSを20万部売れる雑誌にするというゴール設定をすべきということにはならない。僕らのR不動産も同じような面がある。

今の経済システムは、質より量を追いなさいというルールになっていて「量のためには質が必要だから、そのルールは別に不健全じゃないよね?」というわけだ。それに対して「ほんまかいな」というのが、まあ少し先を行ったセンスという感じか。
質が上がれば量も上がることはあるし、そうでないこともある。量がなくても質がつくれるともいえるし、そうとも限らない場面もある。ともかく質と量は別の話でありつつ、同時に互いに微妙な関係がある。みたいな話を僕は多分考えるのをやめられないんだろう。。





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