家賃の役割論

May 1st, 2012

前から若干続きで、家賃の話。
坂口恭平さん的に「家賃なんて払わずに、自分で家をつくってしまいなよ」というのは発想としてアリだし、よく聞く「家賃もったいないからマンション買った」という話も、気持ちとしてわからなくはない。
ちなみに自分は、地価が上がり続け人口が増え続ける時代が終わった今、買う借りるのどっちが正しいという一般論はないし、お得な賃貸やお得な購入、かどうかという話も、正確には”自分にとってトクかどうか”という話だけだと思っている。「一般的には微妙だが自分にとってはイイ」のがお得、一般評価はむしろ逆にもなりうるという感覚。

ところで家賃というのは、広い意味での割賦払い、あるいはある種の共同購入である。家を建てるときには、材料と手間というコストがかかり、それを誰かが負担する。賃貸においては、利用者がそれを少しずつ負担して、リレーしていくわけだ。
要するにこれは「役割分担」だ。買う人がいて、造る人がいて、使う人がいる。お金を最初に出す人や、使う分だけお金を払う人がいる。全部一人でやらずに分担している。

当たり前のことだけど、人間は今までそれをずっとやってきた。役割分担とルールの進化。
無人島で1人になったら、全部自分でやらないといけない。5人くらいいると、木のぼりが上手いやつと潜りがうまいやつで、フルーツ係と魚係を分ける。家づくりがうまいヤツが住みかをつくり、料理がうまい女子は家づくりはせずに料理で貢献する。キャンプに行くと、遊ぶ時間を増やすために役割分担をして仕事を効率よく進める。キャンプ場では役割の進化や技術革新がいっぱい起こるものだ。

ともかく、その無人島的状況から役割分担とルールの進化がぎゅーーんと進んだ結果が現代で、国家とか、業界とか、会社とか、法律とか税金とか、提携とか、シェアとか、色々なことになっている。
住処に関しては、大家さんとか、賃貸とか、銀行とか、不動産屋とか管理会社とか。
家賃を払うというのは「家を自分でつくらないで他のことをする」という選択とも言える。僕の場合は、DIYもちょっとだけやりたいけど、全部一人はさすがにきつい。自分の手でモノをつくるのが得意かというと実はそうではないので、他の得意なことをやって、それで得たお金で誰かに頼む。

役割が進化すると効率が上がって、それはある意味、自由を生む。自分の役割も選択できるようになる。
選択の自由が生まれるのは素晴らしい。とにかく自由や快楽を生むべく、人間はルールや役割分担を進めてきたけれど、それで果たしてよくなってるのかどうか、というと、必ずしも世の中は直線的に豊かで平和にはならず、問題がいっぱい起こる。欲のせいだ。人間の欲はフェアじゃなく、わがままだし、我慢というのが苦手なものだ。今は絶対ラーメン食べない方がいいと思っても、食べてしまう。(いや、ラーメンはいいんだけど)

短期的欲望が、長期全体最適を邪魔し、快楽持続性を阻む。
そして、役割分担を合理的効率的にばかり考えて、人間性を無視するのもまずい。かつ、柔軟でないといけない。

家賃の話とはだいぶ離れちゃったが・・・
坂口さんの話なんかは、そうした役割分担のちょっとおかしなところや、あなた、別の選択もあるぜ、ということを本能的に投げかけてるようなところがある。
僕らは新しい役割定義を考えて、やってみて、新しいルールを提示していかないといけない。





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