都市論、からの結婚論

July 11th, 2012

最近、地方都市や地域の話に、前より少しずつ興味が出てきている。自分は東京の人間だし、仕事でがっつり地方シフトするわけではないけれど、今後の社会なり経済なり価値観なりを考えていくと自然に視野には入ってくる。(僕らが宿をやってる)新島のあるべき未来は?っていうテーマも個人的にあったりするし。

で、地方といえば、人口と仕事が減って経済縮小、という意味では基本的に厳しいぞということで、そこからコミュニティなり共同体なりの話が出てくるんだけど、いずれにせよ住む場所として維持するためには、仕事をつくれないといけない。仕事というのはザ・資本主義的な意味の仕事だけを意味する必要はもちろんないんだけど、当面マジョリティを占めるであろういわゆる産業というやつは、技術の進化とともに大きな流れとしては効率的集約化、そして都市化が進んできた。もちろん物事というのは、ある方向に進むと逆方向の動きも生まれるわけで(グローバル進むとローカルも、ハイテク進むとハイタッチも・・ってやつ)、分散に向かった動きはあるし、むしろ加速する可能性もあるのだけど。

地理的に見たときにはしかし、全体として産業(と人口)は東京集中がまだ進んでる。人が必要以上に集まりすぎれば、満員電車で疲れるし、土地も高くなるし、ゆえにローンが重くなって人生がどんどんつらくなるはずなのだが・・
なんていうか、広い公園で100人がバーベキューするときにわざわざ真ん中でギューギューに押し合いへし合いしながら食べる必要はないのに、的な。確かに肉を焼いてるところから離れているとウマい肉を食べ損なうリスクはあるんだけど、そこはルール設定というか、焼けたらまとめてグループごとに配っていくとか、はたまた地方分権的に、仕込みまでは一カ所集中でやるけど焼き場はいくつかに分散するとか、いろいろ方法はある。地方にいると情報が少ないとか人材が来ないといった現実はあるのだろうけど、日本の構造はちょっといびつに思える。

基本的に、都市も適度に集中、適度に分散、がいいに決まってる。そのためには仕事の分散が必要なんだけど、伝統工芸とか渋い観光とかいきなり自給自足、だけだとさすがに解ききれず、やっぱりある程度、太い産業の分散がないと厳しいだろう。インテルやナイキがいてこそ素敵に成り立つポートランドとか、シーメンスの経済活動と一体で皆健全に街を愛するドイツのエアランゲンみたいな話や、欧米でふつうに大企業の本社が分散している感じは、東京にいるとやっぱり不思議に感じる。どうしてそれができちゃうんだろうと。

多分、日本人に比べると若干、人生や幸せのあり方を全体的にバランスよく想像する力、をみんなが持てているということがまずあるのだろう。そして、仕事する上でやりとりする相手との距離が離れているのも、不便なこともあるけどむしろ余裕があってこそ仕事もはかどる、的なマインドも共有できているんだろう。その上で、社会の仕組み的にも流動性が確保されているというか、別の都市に行っても技があれば仕事につけるというのがあるから、人生の組み立て方に選択肢がいろいろあると。人生を自分なりにフェーズ分けしていくということもやりやすい。ホームタウンで仕事して、今度はしばらく都心でバリバリやって、奥さんの仕事や子育てのためにまた別の場所にいって、また戻って、でもずっと自分のプロスキルを活かして進化してるみたいな。ハイキャリアの人も地方のホームタウンで質の高い仕事ができるし、企業側も質の高い人材を地方でバランスよく確保することもできるという関係。中心都市での人生も、地方での人生も、それぞれの魅力があって、どちらにも仕事の機会や文化が健全にあって、それをいつでも選んで移動できるというのは豊かな状態だろう。

しかし、そういう分散と流動性が確保された社会では、家族的、夫婦的な問題はおこらないのかちょっと気になる。移動することにバリアがなくて、情報環境や自由度が進化して、それぞれが色んな選択肢を意識すると、奥さんと旦那のモードが違ってぶつかることもあるだろう。そこでお互いに折り合いをつけて一緒に歩めれば素敵だけれど、「あなたはそっちいくのね。私は今はここがいいわ、じゃまた5年後に」という選択の自由もあるべきだと思う。で、そういう状況を想像すると、必然的にポジティブ離婚が増える気がするわけだ。いまのところ僕は、それを肯定的に捉えていく方がいい気がする。(つづく)





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