楽しい晩年論

August 25th, 2012

我ながら意外なことに、最近ときどき「将来」のことを考えるようになってきた。もうそれなりの年なので、将来というのはつまり65歳とか、そういう話である。自分は今は割と自由にやりたい仕事をやって、若干ユルくも楽しい日々を送っているけれど、もっと着実で大人っぽい人生を選べた瞬間は確かにあった。かつての同級生や同僚の中には立派な会社で大きな仕事をして、キャリアを積んで貯金もきちんとたまっていそうな人たちがいる。基本的には彼らは、暑いからといって短パンで自転車で移動しながら仕事したり、思いつきで儲かりもしない仕事を始めたりはしていない。大きな組織の制約やプレッシャーの中でストレスも感じつつも、プロ意識を持って進化して、充実しているはずだ。

そういう友達に「でっかい仕事して、すげえなぁ〜」と言うと、「いや〜なかなか大変だよ。お前は好きなことして楽しそうでいいな〜」とか言われたりする。ぶっちゃけ、「YES!稼ぎとかは大したことないし、世の中のど真ん中にはいないけど、きっとおれの方がハッピーなんだぜ!」と思ったりもするんだけど、実は一方で「でも・・65歳になったときにはどうなんだろうか・・」ということを少し想像するわけだ。もしかすると25年後の僕は、割と楽しげな仲間は色々いるけど、好きにやってきた結果として、貯金もなくなっちゃってて、不安な老後を目の前にし、もっとキッチリやってきた人たちは安心な老後を迎えるのかもしれない。そのときになって「うわあ!こういうことだったのかああああ!」と後悔したりするんだろうか? それが一つ。そしてもう一つは子供。既に友達はみんな子供がいて幸せそうにしているが、自分は子供を絶対に欲しいというわけではないこともあって、子供のいないじいさんになる可能性はそれなりにある。息子が遊びにこないじーさんになって、娘や孫と集まって新年を迎える周りのじーさんをうらやましく思って、「うー、寂しいよー!」となるのか?とか。

まあ子供に関しては流れにまかせるとして、とにかく仕事に関してはもう、やりたいことしか絶対できない身体になっている(会社つぶれたりしない限りは)。僕は多分割とラッキーな人間だと思っているので基本的に不満や後悔はないんだけど、将来の安心を重視して計画したりしてはこなかったことは確かだ。今後も今のノリのままでやっていくのがいいのか、少し将来の安心を重視して生きていった方がいいのか。今の結論としてはしかし、少なくとも自分の場合は、やっぱりやんちゃに今の充実やワクワクを優先していくのが絶対に良いと思っている。なぜか。

僕の場合、例えば65で仕事をだいたい引退したとすると、70ちょいまでゆるく旅しながら本とかいっぱい読んで死ぬ、くらいがいいな、というのがまずある。そのくらいなら仮にあまりお金とか溜め込んでなくてもなんとかなるだろう。でも、そのときになって意外と、まだまだ生きたい!とか、死ぬなんていやだ!と思っていたり、はたまた「そもそも自分で死ぬって無理だし、やけに健康なんだよね。困ったことに」ということもありうる。

その場合、仮に80歳までいわゆる老後を過ごすシナリオを考えるとすると、まずどんな住み方をするのか。とりあえず寂しい暮らしはいやだから、多分、家はシェアを考えるだろう。一人でも、奥さんやパートナーと一緒であっても、僕は周りの楽しい爺さんや婆さんを巻き込んでシェアすることを考える。で、おれはもうすぐ死ぬぜ!とか言いながら酒飲んだり、仲間と順番に下手なギターソロとかキメてウォ〜と盛り上がったり、苔盆に凝ってみたり野菜つくってみたり、爺さん同士てテレビで美女の批評して喧嘩したり、名作映画見て泣いてたりする。そのとき住む家は多分、今のR不動産的な物件であって、決して公共施設っぽい老人ホームではない。庭があればいいけど、マンションだって木賃だってかまわない。とにかく楽しげで、居心地のいい空間がある。DIYもしてる。人数は7〜8人くらいがいい。爺さんだけじゃなくて40代くらいの独り身の女性なんかもたまに混じってても楽しい。徒歩5分圏内にまた似たような場所があって、行き来しながらたまに一緒に七輪とか囲んで飲んでいる。そこには時々仲間の孫が遊びにくるから、そのときは自分の孫のような気分でかわいがる。時代遅れの爺さんといえども、それまでさんざん好きでやってきた仕事から得た経験・ノウハウを若者に伝授する私塾とかやるのもいい。その頃にはキーボードは打てなくなってもネットで色々できるはずだし。それで少しはこづかいになったりして、それでお手伝いのお姉さんに来てもらって、たまにはこっちが旨いものでもつくって一緒に盛りがり、古いギャグかましてあきれられたりする。自分が本当に寝たきりになったり死にそうになったらそのままバイバイという方向で対処してくれるよう周りに仕切っておく。ともかくそんな感じで、多分寂しくない自信はある。

ところでそんな家のことを考えていくと、今まで自分では当分なにも提案できないと思っていたお年寄りの世界に対しても、何かおもしろいことができる気がしてくる。リアルに自分のニーズを考えていくと、もっと楽しい空間つくればいいじゃんと思えてくる。クリエイティビティが活かせるところは色々あるはずだ。まずは、ロックでハッピーな爺さんのための共同住宅、といったところ。(誰か、やらない?)で、意外にそれを本気でやったら当たってしまって金持ちになっちゃったりするかもしれない?が、そんなことはどちらでもいいのだ。いずれにしてもハッピーに死んでいける、そういうズルいコンセプトであり戦略なのだ。

「医療にかかる金ってのもあるんだぜ。のんきなこと言ってると後悔するぜ」と言われるかもしれないが、そもそも無理して長生きする必要がないように今を生きる、という話なのだから大丈夫なのである。はたまた「年老いたらそんなやんちゃっぽくできないよ」と言われるかもしれない。でも多分そうでもない。今もロックな爺さんたちはいっぱいいる。自分自身、子供の頃に思っていた40歳の自分よりも、実際なってみるとそれははるかにやんちゃで楽しいものだった。ともかく将来に楽しいイメージを持つことは重要だ。それを世に示して広げることもいいことだ。それによって人々はより良い方向に動いていく。

だけどそのために、今は楽しくがんばらなきゃいけない。そうでないと仲間もいなくなっちゃうし、がんばらないと周りや若者に何かをGIVEすることのできる爺さんになれない。技や知恵や経験や、最低限の蓄えくらいは持って、同志たちと充実した日々を送って、悔いなき晩年をすごし、そのときがきたら、少し早めに、笑って死ぬ。
そんな感じがいいなと思っております。





  1. 結婚ではなくパックスで、子供もいたらベター、将来を考えると微妙に不安だけれど、共同生活空間を持って楽しく過ごしていきたい・・・、同感です。フランスのパックスは、ベルギーではcohabitation legaleと言いまして、実際、そのステイタスでパートナーと犬と「パッチワーク家族」をenjoyしております。晩年は従姉とご飯が美味しい老人ホームに入る話をしていますが、過去に何度もフラットメイトと生活しているので、林さん的シニア・ハウスシェアリングの方が現実味がありますね。20年後の企画、ブログで読むことになるんでしょうが、楽しみにしてます。

    August 26th, 2012 匿名
  2. 賛成でーす。素敵な余生 ガツガツしてないし、何かサバサバしてかっこいいね!

    November 27th, 2012 マリンボーイ
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