コミュニティ系

April 9th, 2017

去年から先月にかけて、若者たちがとあるマンションのコミュニティ問題の解決を考えるという場があって、それにゲストメンバーとして関わっていた。このあたりの話はもともとあまり強い興味はなかったのだけど、最近は自分の親が85歳になって高齢者施設に入ったことなんかもあって関心が増しているところだった。そこでのお題は、そのマンションの住民の方々の意思もふまえて、コミュニティカフェを企画してつくろう、ということになっていた。コミュニティカフェという言葉自体は個人的には若干ムズムズする部分はあるものの、やりたいと思う人たちがそこにいるならば一度関わってみようと思い、話に参加していた。

その中で僕がふと思ったことの一つは、こういうのって往々にしてリア充の世界なんだな、ということだった。元々まちづくりとかコミュニティといった世界は「ほっこりリア充」とでもいうべき、ある種の草食価値観(いい意味で)とある種のリア充性をあわせ持った人たちが登場することが多く、それは自然なことでいいのだけど、そのこと自体を少し意識してやった方がいいかもしれない、と思ったのだった。

ところで僕は、中学2年の頃とその前後数年の間、いわゆる根暗マイナーなキャラだった。学校ではほとんどしゃべらず、わいわい話す友達が少ないヤツ。自閉症とまではいかないものの、うまく明るくふるまうことができず、それはなかなかにツラい日々だった。マイナーキャラの中には、それを気にもせずマイペースにそうあり続けている人もいたが、僕はあくまでメジャー(それは例えばサッカー部やバスケ部のマセてる系の面々。女子でいえば例えばダンス系にマイナーはほぼいないだろう、みたいな)にあこがれ、自分も少しでもメジャーになりたい!そしてモテたい!と強く思っていたタイプだった(当時はメジャーでさえあればモテるはずだと本気で思っていた・・)。そして影ながらベースの技を磨いてバンドに入ったりメンズノンノを読み込んでみたり、さまざまな涙ぐましい努力をしてリア充に近づいていったのである。今でこそそこそこリア充ぶってはいるけれど、マイナーの気持ちや視点はよくわかるのだ。

マイナー側の立場からしてみると、リア充な人々の集まりに入っていくのはとても難しいものだ。だから、リア充が寄り集まってリア充なイベントをやっていても、マイナー側の人々の孤独問題というのは決して解けない。参加しない人たちに徐々に声をかけて・・みたいな話も、実は決して近道ではなかったりするのである。

コミュニティカフェというのが単にやってる側の人たちが楽しいからやる、ならばそれは全然いいのだけど、もしマンションや団地におけるコミュニティ問題というやつが、孤独死の話だったり、防災的な意味も含めたつながりの必要性みたいな話であるとしたら、楽しげなわいわいイベントばかりに向かいすぎると、それはむしろマイナー側にいる人の一部にとっては、より自分のマイナー性を認識するだけかもしれないのである。そして同時に、ほっこりリア充な活動がやがてある種のソーシャリーコレクト感を生みすぎて、せっかくのいい活動が特殊な香ばしさを発し始めてしまったりすると、もったいないことになるという、偏見とも言われかねない個人的見解もあって、僕はこうして軽く毒づいてみたりするのである。

一般的に、ほっこりリア充の世界ではテクノロジーはあまり好まれない。孤独死を防ぐという意味ではテクノロジーはとても有効なのは間違いないのだが、そういう話がなんとなく出にくくなる空気が生じる。一人一人は別にほっこり原理主義なわけでは全然ないのだけど、ついつい「顔の見えるふれあいが大事」みたいな雰囲気でないといけなくなるのである。(いやもちろんこの話は全体的に半分冗談なのでマジ議論になってもアレなのですが・・)

こないだ、今や有名大家さんとして知られる青木純とこんな話をしていたら、なんとあの超リア充感満載でTEDのステージを飾る青木純も、本当はおれもマイナー側の人間なのだ、今でもパーリーに出るのはつらいのだ、と吐露された(ウケる)。そのときその場にいた他のメジャー出身な面々にはマイナー側の視点や心情がどうやっても共有できなかったにもかかわらず、彼はしっかりその感覚をわかっていたのである。 で、彼が言った。「そうだよね、リア充カフェとかってそこは解けないよね。なんか、保健室みたいなやつが必要なのかもね」と。まさにそういうことかもしれない。まあ僕自身は保健室常連系とかではなかったけど。

ところで上述の若者企画の場で僕がずっと一押ししていたアイディアは、ほっこり感たっぷりな雰囲気の女の子が発案したもので、それは全くわいがやオシャカフェでなく、もちろんイケイケバーでもなく、これまたほっこり感満載な「つくえ」というコンセプトだった。誰しも家の中では、読書とか裁縫とか、机に向かってやることが色々ある。そんないろんな机を散在させて、そこでは別にさわやかでノリノリのコミュニケーションはしなくてもよい。そしてそこに微かな仕掛けを挟んで行くと。マイナーのニーズにもきちんとはまるその考えに僕は共感した。そのアイディアを出した女性は大学生だったのだが、彼女はその後、自分の価値観の実践に向けて、最初の職場として迷いなくハイテク系の会社を選んだ。そんな感性を世の中は必要としているんじゃないか、と思ったりしたのだった。





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