建築家の役割2

April 16th, 2013

だいぶ前に建築家の役割という題で書いたのは、資本の論理をふまえて戦い方を考えないと、ほんとに食えなくなってしまうという話だった。自分のことをだいぶ棚に上げつつその続きをもうちょっと考えてみる。

そもそも建築家というのは、ニーズなりマーケットがあるからやる、という仕事じゃなくて、「ニーズがあるかどうかでいったらかなりキッツいのはわかってるんだけど、やりたいんだもん」という世界なので、ビジネスの一般論からすれば”儲からない”に決まっている。ただこの話は食える食えないの話以上に、社会的に重要な仕事たりうるかという話であって、そういう意味で正しい形にアップデートしていかないと、そもそも世の中的によろしくない。感覚的な言い方だが、今までのイメージの”建築家”は現状の2割くらいに減っていいと思っている。実際、同世代で”建築家”をやってる人の半分以上は、別の仕事をするか、そうでなくとも”建築道”の王道とは違うアプローチでいった方がずっとわくわくできて、かつ影響力を持っただろう、という感覚がある。

なぜそうなっているのかと言うと、仕事のパイが量的に減ってるということもあるが、社会へ与えるインパクト(影響力)が限られているという実感があるからではないかと思う。空間や街をデザインする際に、建物や内装のかたち(意匠)によって生み出せるメッセージは時代とともに(相対的に)小さくなっていて、そのことがいよいよ実感されてきているということかもしれない。そしてもう一つはいわゆる世知辛い問題、つまり短期合理性が益々追求されて、文化的なるものに予算や時間が与えられにくい社会になっていることがある。

あらゆる課題において新しい切り口や答を出すのが難しくなってきており、ハード中心のコンセプトをつくっても現実は思うような状況にならなかったり、美しき斬新な表現をしてみてもさほど世間から関心を持たれなかったりする。かつて60〜70年代にも、都市の未来構造を絵に描いて”どーだ!”と言っても結果的に現実に全く反映されなかったりしたわけだけど、今はもう建築スケールにおいても、商業空間はもちろん、集合住宅ですら、ハコの意匠の価値の限界はだいぶ見えている。建物の形で人はそれほどの感銘を受けず、価値観はもとより生活や活動にも大きな影響を受けず、更にはアートな文脈ですら新しい強いメッセージとして成立しなくなってしまった。「そんなことないよ」と言いたいのもやまやまだし、素晴らしいものももちろんあるけど、ちょっと冷静になれば認めざるを得ない。ビジョンはもうハードだけでは構成しえないという気がする。

思えば自分は建築家という職能の定義をもっと広げて考えたらいいのではないか、事業企画なり流通なり投資なりを実践することを含めて捉えてもいいのではないかと思っていた時期もあったが、今はそれはやはり違うと思うようになった。「建築家」は、例えるなら”アーティストではなく絵描き、つまりその仕事は空間創造における手法領域の一つなのだと捉え、むしろその解決領域にはもはや限度があることを前提とすべきだと。近代芸術で絵画というメディアが主であったとすると、現代アートにおいてはあくまで一つの手法の選択肢となった。実際、自分が「こんな場所があったらいいな」と思うことがあったとしても、そこでアイディアやストーリーの軸をつくるリーダーとして建築家が相応であるような機会は減っていると思う。多分、図書館や美術館ですらも、そうなっていく気がする。

グラフィックデザイナーでなく、クリエイティブディレクターなる人がストーリーを組み立てるように、問題解決の複合性とともに創造のフォーメーションは変わって行く。そのときにアーティストやディレクターに相当する言葉が何かは未だにわからない。あえて急いでネーミングする必要があるとも思わないし一つにまとめるべきとも思わないが、直感的に、アーキテクトという言葉でまとめるべきではないとは思う。いずれにせよ、力強い場所創造のディレクションは、建築家の個人技では(極めて一部の例外を除いて)なかなかできないものだ。社会的課題や事業的課題を空間的にクリエイティブに解くということは、少なくとも従来の建築家の教育や思考の枠では務まらなくなっていることは確かだと思う。これはネガティブにも見えるけど、ポジティブに見れば、空間の創造や解決の方法や切り口の幅は多様でありうるということでもある。

そうした中でどう動くのか。当然答えは一つではなく無限にあるわけだけど、いくつかのタイプに整理することはできる。一つは建築家、もう一つはソリューションアーキテクト、それからプロデューサーという具合。「建築家」は美しい空間や、”空間的に斬新な”アイディアを形にするアーティストであり、ソリューションアーキテクトは多面的な問題解決の中で全体観や現実的要請・状況をきちんと把握しながらハードデザインを行うデザイナーであり、プロデューサーは課題解決を多面的に行う際に複合的なキャスティングをしながらハードもソフトも(あるいはマーケティングも)含めて統合的な答えをつくるリーダー、という感じか。

今の建築家は、ソリューションアーキテクトのような感じのカタりをキメながら、実は絵描き的建築家であって、その領域の外については実はあまり現実的な分析や知見を持っていないという人が多いと思う。それは大抵の人が”なんでも設計します”というスタンスである以上、どうしても限界があるのだけど。プロデューサーの立ち位置でマニフェスト的なアウトプットをする人もいるが、惜しいことに、発想はいいのに現実感という意味では途中のカッコいいところで詰めを止めて抽象的なメッセンジャーに留まろうとしてしまったり、他の領域のプロを巻き込みたがらず自分だけでできる範囲だけで解くのをやめてしまう人が多いように思う。

やっぱりそれでは影響力にも、求められる機会にも限界がある。問題解決のリーダーシップをとり、多面的なアイデアを出したり集めたりし、具体的に現実をブレイクする筋道を提示できるような人にならないと、社会から本当に必要とされる場面をつくれないのではないかと思う。建築を好きで学んだ人たちはみんな、いい発想と感性を持っており、そして現実的な分析力も本来はあるんだから、現実の解決志向を避けてきれいに動ける範囲にとどまる構造から脱却すべきだと思う。(もっとも、世界的に活躍しているような一部の人は、ここでの話はちょっとあてはまらないし、あてはめる必要もない。年間数人までとかの話だけど)。

僕の感覚では、建築家の卵にあたる世代に関していえば、”建築家”が1〜2割、ソリューションアーキテクト(ふう、でなくリアルな)が3〜4割、プロデューサーが1割、あとは別の世界で大活躍しちゃいましょう、という感じ。僕は社会学者的な立場ではなくあくまでビジネスのアプローチで建築に関わっているので少し偏りがあるかもしれないが、日本は一般人がデザインリテラシーが低すぎて、建築家がビジネスリテラシーが低すぎることもあって、やっぱり”マーケット(市場)”の理解というのはもう少し危機感を持って取り組むべきだと思う。

建築家に駅前のデザインを頼めば、まず全く市場原理を無視した発想が始まってしまうことはよくある。マツキヨやマックがどれだけ高い条件を提示してくるのかを知らずに無邪気に山手線の駅前の路面に個人店カフェを書いてしまうようではプロとは言えない。市場の現実を最低限わかった上で、短期的な市場原理を乗り越えるための策略とともに答えを提示することができなければそれは案として無価値である。”市場”の力はまだまだ強力であり、当面さらに強力化する。そこにもっと覚悟が必要だと思うのだ。強烈なデザイン一発で課題解決を支配することは理想だけど、少なくとも厄介な意思決定がつきまとう日本という国においては(あるいはこれから市場力が益々増して行く世界各国でも)現実的な戦略は常に必要なのだ。

さらにプロデューサーたろうとする場合、キャスティングをリードすることが必要で、そのためには現実の問題の全体構造を知る必要がある。そしてそれを可能にするのは、きれいごとでなく、現実の状況を解く手順を理解するために必要な知識や洞察を持つことと、場面によって「建築家」としての職能境界を乗り越えていく行動である。自分の表現の邪魔をされたくないという動きをするよりも、巻き込み巻き込まれた方がうまくいくものだ。そこに踏み込んでいくと、自らの究極の仕事は「建築家」じゃないと気づき、その結果、建築事務所に設計者でない人が入ってきて、気づいたら設計事務所じゃなくなっていくこともあるかもしれない。でもそれこそが自然なアップデートなんだと思う。

そう考えて行くと、やっぱり教育もメディアも変わっていくべきだし、新しいロールモデルも必要だと思う。教育に関して言えば、基礎教育は空間意匠でいいのだけど、それにまつわる諸条件、広がり、関連性、といったもの、つまり空間デザインというスキルが社会的に・文化的にリアルに価値を生んでいくために必要な連携なり仕事のあり方というものをチラ見せすることはもっと必要だと思う。メディアに関しても色々思うところはあるけれど、建築家やデザイナー自身が自分のスタンスや知見の範囲をどうしても広く見せオールマイティに答を出せるように見せてしてしまう中で、一人一人の持ち味や視点の限界を客観的に評価して伝えることをしないといけないように思っている。

いずれにせよ建築の機会というのは減るわけだし、建築的発想力やロマンを持っている人は、全然違う場所(業界)にポーンと行って数年を過ごして、その上でオリジナルな、時代と自分に合った新たな仕事に取り組むというのはとてもいいと思う。人は30を過ぎると「自分は○○の人間だから」と新しい領域に飛び出ることをしなくなることが多いけれど、それはもったいない。自分も32から不動産仲介屋を始めて営業をやってみたり、あるいはかつてやらない選択をした「設計」を自分の仕事の中に組み込もうと仲間と組んで仕事の幅を戻すように広げたけれど、「やってみる」と「人と組む」の組み合わせで、仕事なんていかようにもシフトできると思うようになった。かく言う自分もこんな偉そうなウンチクをかたるのも相当えらそうであることはわかっているし、そろそろ自分を固めてしまっている気がしてきたから、数年先にはポーンと別の場所に行くことも考えたりする。
でももちろん、”それでもおれはケンチクなんや!”という人は、建築家として技やアイディアを磨き上げ、時として人に大きな感動を与えるのだろうと思う。



わかっちゃいるけど

April 9th, 2013

去年5月の新島トライアスロンで、一緒に出た友人2人の腹がばきっとしてカッコよかったので、僕はもう1人の友人と「来年はバキバキに割ろうぜ!」「かけるか?」「おう!」とやったのだが、ずるずるしているうちにもう4月に入り、この時点であきらめることにした。

思えばこないだの仕事百貨のイベントでも「あきらめた人」というカテゴリで招かれ、そのときは「僕は”建築”をあきらめないために、”建築家”をあきらめたのだ」という得意の迷言(当然後づけ)でなんとかカッコつけたつもりだったが、今回はただ単にあきらめたダメなやつ、ということになる。挫折に至った理由は言うまでもなく、
「わかっちゃいるけどいっぱい食べちゃったんだよね。」
「わかっちゃいるけどけっこうサボっちゃったなぁ・・」
である。ま、どうせアメリカのパンツの宣伝に出るわけじゃあるまいし、別に腹なんて割らなくていいじゃんというのがあったのは確かだけど、思えば世の中そればかりという気がしてくる。

「この時間にラーメン食べるのヤバいよね。でも、食っちゃうよね。」というのも、僕らの仲間内ではダメというよりむしろ正しい価値観や美意識として認められてすらいる。「今のうちに宿題やんなきゃ後でつらいのはわかってるけど、遊んじゃうよね」「今日中に片付けないといけないのはわかってるけど、やっぱ今日はいいや飲んで寝よう」というのび太的な発想は世界共通、いや人間の本質である。我慢した方がいいのにキレちゃう人とか。いけないのに浮気しちゃうやつとか、今が大事、今を生きる、と。

不動産会社なんかだと「まあ今ってバブルなんだけど、他がみんな高く買うから高く買うしかないよね。しばらくはだいじょぶなんだから、ババ引かないように売り抜ければいいっしょ」となるし、商店街がなくなっていくとか個人店が消えて行く的な話も同じで、「街が大きなショッピングセンターだけになっちゃったらいやなんだけど、やっぱり安いし便利だし、行っちゃうよね。」「やっぱりDHCだね」「ユニクロだけが強くなるのもどうかと思うけど、やっぱり買うよね」
そうして街の多様性は失われて行く。

会社もそうだ。「儲かればなんでもいいってわけじゃないんだけど今儲かることしないと怒られるしね」という立場に気づいたら立ってしまっている人。「こんな主張はただの既得権益守ってるだけかもしれないけど、立場ってのがあるからね」「会社が巨大になればいいとは思わないけど、巨大になるよう努力しないといけないっていう構造になってるし、それは仕方ないんだよ」「店舗数増やして、シェア増やして、最後はどうなるの?っていうとよくわからないんだけど、停滞は死あるのみだし、今を生きるべきなんだよ」

人というのは、ほんとは長期的に考えると・・ということに常に向かって動くのはほんとに難しいわけで、じゃあどうすればいいのかというと、やっぱり、子供だったら母ちゃんが怖いとか父さんがなぐるとか、そういう話なんだという気がする。つまり倫理とか常識とか、それに基づいた法律とか罰則とか、いわゆるバランスのいい”縛り”というやつ。

今まで長い時間をかけて、侵略戦争はだめっしょ、奴隷とか人権的にだめっしょ、人殺すのまずいっしょ、という共通認識をつくってきたわけだけど、今は「経済的な侵略はどんどんしなさい」という前提の時代である。

もちろんそうはいっても「これから途上国はがんがんくるわけだし、自分の国だけ草食みたいな発想でやったら最悪なことになるよ」というのはリアルに理にかなった話なわけで、そうなるとやっぱり世界のインテリジェンスがどこかの段階で、高い目線できっちり”握る”しかないという話になってくる。国連とかダボス会議とか、ってそのへんあんまりわかってないけど、高い志も現実感覚も持った人たちが世界の前提となる”握り”を進化させてきたわけだし、これからリーダーシップをとっていく世代はかなり価値観的には準備ができてきているように見える。

個人的には、経済侵略とか短期売買とか、そのあたりの前提はあと20年くらいでさすがに変わるだろうと思っている(とはいえまるっきり変わるという話ではなく、サッカーにオフサイドやペナルティPKができるくらいのルール変更くらいでも解けるのかもしれないけど)。もちろん、そうして世界の前提が変えるまでは・変えるためにも、まっとうな成功事例をつくっていくのが正しい。

根本的に「意志」は長期ベース、「欲」は短期ベースだけど、欲が意思を邪魔するわけで、だから長期最適のためにはコントロール、縛りが必要である。自分の腹割り論で言うならば、先に罰ゲームを決めていたら、がんばれていたような気はけっこうする。要するに事前の読みが、自分の弱さへの認識が、甘かったわけだ。わかってはいたんだけど。



ローカリティ

March 24th, 2013


一家族一住居でなく500人を単位として住むという山本理顕さん達による地域社会圏主義の提案は、家の意匠や構成ではなく社会システムや価値観の話であり、建築家のこれからのテーマの立て方としてまっとうに思えるし、未来を考えるきっかけの一つとして興味がある。本をちゃんと読み込んだわけじゃないのであくまで浅い認識しかない前提で言えば、これは民間ベースでそのまま実現するものでは確かにないだろう。でももしパブリックも巻き込んで実験的にやろうとすれば、物理的な形は違えどもその本質に沿ったものが意外とできてしまうような気がしてくる。だから彼らがそれを実現できる方法や場所を探して動き始めたりしたらおもしろいなと思っている。僕自身は今は大都市で匿名的な住み方で全然OKなのだけど、実はそれも、自分が気持ちいい住み方について本当に充分な想像力を持った上でのことなのか、我ながら少し疑問もある。


山本さん達の提案は500人の中で生産も流通も消費も全て完結するという類いの話ではなく、数百人という単位でまとまりをつくって共有する空間を拡大し、エネルギーの考え方、あるいは人間関係や生産・消費に関する根の張り方を変えていくと、新しい合理性や豊かさあるいはリスクヘッジができて来るというような話だと理解している。僕にはこれはいわゆるコーポラティブに通じる部分があるように思える。特に、僕がこの数年強く影響を受けている甲斐徹郎さん(チームネット)によるコーポラティブハウスの世界観における、いわゆるコミュニティベネフィットの本質のようなことだと。ちなみにコーポラは外から見ているよりも遥かに幸せな世界のようだ。プロジェクトによってもちろんばらつきはあるものの、普通の住み方をしていては想像できないようなポジティブで健全な帰属意識や程よい人間関係、そしてある種の合理性があるらしい。僕らはまだわかっていないことが色々ある。


僕の興味ある場所にイタリアのソロメオという街がある。ここはカシミアニットの高級ブランドであるクチネリ社の街であり、街の多くの住民がクチネリの従業員である。オーナー社長のクチネリ氏は13世紀の古城を修復して本社にし、質の高い手仕事を武器に世界に商品を送り出し、街に雇用を生みつつ、利益の一定割合を街の建物や道路などの保存・再生に使う。社の敷地には劇場や音楽室や図書館もあり、人々は誇りと文化的ゆとりを持って、この街でこの会社で仕事をする。自分はソロメオには行ったことはないのだけど、ざっとこういう話らしい。こういう事例はもっと共有した方がいい。ソロメオはいわゆる自給自足とかではなくて、外の世界にマーケットを持って成立しているわけだけど、地域の経済サイクルと文化がバランスしていく一つの形として見事な話であり、日本の離島なんかでも参考になりそうだ。外(都会)のマーケットをちゃんと取り込んでいくためには、地域なりの技術や感性と、都会の感覚を両方組み合わせる必要があるし、本当にビジョンを現実化できるプロフェッシナルな力が必要になる。事業スキルと文化センスを日本も早くからバランスよく教育しないといけない。


ローカリティとか多様性というのは、今迄積み上げてきた「集約による生産性向上、それと並行して進む均質化」というやつとは一義的には矛盾がある。集約と均質化が進んできたから作用反作用的にローカリティが支持されるという構造が今あるわけだけど、ヨーロッパなんかは日本よりずっと普通に現代的なセンスでローカリティに価値を見いだすことがコモンセンスとして強くあるように見える。で、ポートランドなんかになるともう少しコンセプチュアルに、「ローカル・ファースト(地元の店やモノを優先しよう)」という価値観、といった具合になってくる。
ナショナルチェーンやグローバルブランドが、世の中を均質化したり、個人の顔や背景の見えない消費を進め、それが巡り巡って結果的に無意識的に格差や貧困を生んでいく・・というのがあるとすると、つまりナショナルチェーンは悪ということになるのか?という話になってくる。確かにローカリティに反するナショナルチェーンの構造を前提にするとそういうことになる。ただ、僕は少なくともナショナルチェーンが悪だ、とは思っていない。感覚的に、吉野家もスタバも悪だとは思っていないし、むしろ集約したり標準化して生産性が上がるべきところはとことんやって、その上のレイヤー(商品やサービスやデザインや価値観やストーリーとか)でカスタマイズがあり、そこでローカリティとつながってくればいいという感覚がある。同じ名前のバーガーショップであっても、そこで人がどう出会い集まりコミュニケートするかが場所によって違ってくるみたいなことになればちょっとおもしろいし、それを誘発する構えをつくることも可能で、そうしたことがブランドを高めることもあると思う。


ナショナルチェーンというのはカスタマイズに対して柔軟である方が、あるいはそれを前提につくる方が、これから強いのではないかという気する。吉野家だって、今はいいかもしれないけどこのままではどこまでも値段競争をしていかざるをえない。均一主義でいけば均質拡大のベクトルが強化され、結果、壁にぶちあたりやすい。セブンイレブンの売れ筋標準化的な側面は、強さだけど、同時に危なさかもしれない。自分ががセブンの人間なら、データ分析からラインナップを地域や店ごとにカスタマイズしていけばよい、それが答えである、というドライな感じでは、いつか世の中の新しい価値観ベクトルを理解できない組織になるのではと懸念を持つだろう。データでの変化からだけではその意味合いを理解できなくなる時が来ると。
そう考えるとフランチャイズというものも、必ずしも均質を意味せず、新たな定義が可能であり、それは例えばフレキシブルなテンプレートと、カスタマイズのネットワークという構造を持ってもいい。僕は今後、工務店などにその構造をあてはめるとおもしろいと思っている。そこでは個別な「人」が見えることも意味があるし、属人的な価値や偶然的な状況に対応できることが必要になる。そして同時に、束ねるべきものは束ねて効率を上げる。そしてそれらのあり方は、変化し続ける。みたいな。


いわゆる地方都市の中心部の商店街では、中心市街地がだめで郊外モールが栄えていたりするというのが問題になるが、別に中心が絶対的にダメなわけじゃなくて、要するに「上手くやれるかどうか」の話だと思う。今はモールの方がプロがつくって検証しマネジしてるフォーマットであり、それゆえに強いということに過ぎないのだと。だから個人の事業者たちは、徒党を組み、そして先進的な知識や感性を持ったプロが絡み、そして長期全体最適の姿を追求できる体制をつくることが大事なのではないか。


現代においては多様であるというのはなかなか大変だ。会社組織において多様性を維持するのが大変であるとか、学校でクラスや先生が多様すぎると色々厄介なことになるとか、色々な場面でそう思われている。だから現実的な作戦としては、多様性や地域性や人間性という魅力を、経済価値にちゃんと転嫁すること。自分たちにとっては今はその実践のタイミングである。そしてやがてその方法と経験は、ローカリティを生かす街の再生にも役立つだろう。自分としては10年後までに、そのあたりの準備を重ねていこうと思っている次第。



自分の家

March 5th, 2013

今やっている展覧会「housevision」の中で僕らが提案したのは、自分で編集する家、という考え方だ。これからは既存の住宅をリノベーションするのが当たり前の選択肢になるという前提の上で、ハコをまずはいったん初期化しスケルトンにした上で、自分の暮らし方に合った空間を編集しようというものだ。そこで展示の半分は”編集”の一つの例を形にし、もう半分はR不動産toolboxのショールームのような空間にしている。今回の展示の具体的な計画・デザインには僕自身はほとんど貢献していないのだけど、その背景の思いをちょっと話してみることにする。

僕らが今やろうとしているのは、これからのスタイルはこうだ!と、いわゆる空間のデザイン自体を提示することではなく、「自分だけの空間を創るための仕組み」をつくることだ。見栄が意味を持たなくなる時代には、金さえあれば誰もが持ち得る高いモノや、人が考えたカッコいいものよりも、自分ならではの意味があるモノでなければモノを持つ意味がなくなるだろう。そのための場所(物件)と出会うための「R不動産」の次には、家の中をつくりこむための仕組みとしての「toolbox」ということになる。

あらゆるモノはどんどん人間の手を離れて機械的につくられるようになった。そこでの進化と同時に、失ったものもある。昨日も古いイギリス映画を眺めていて、この頃の家は温かいなと思ったりもした。しかし、だからといって「昔はよかった、昔に戻ろう」というようなことを言いたいのでは、ない。itunesにはアナログレコードの味わいはないけれど、新しい楽しさと利便があり意外な出会いも生まれる。人はいつも未来へ向かう進化と過去の懐かしさと、その両方に魅力を感じるものだ。そしてとにもかくにも進化していく。人は子供の頃には大人になりたいものであり、大人になると若いころはよかったなと思ったりもする。失うものもありながら、大人の世界は広がって行く。大事なのは、大人になっていっても本能や遊び心を失わないことだと思う。進化は続いていくけれど、この先の未来は人間性を無視できない。

自分のための空間は、自分だけのものじゃないかもしれないし、一つじゃないかもしれないし、ずっと持ち続けるものでもないかもしれないけれど、その時の自分にとって意味があるものであるべきだし、そして五感に触れるものであるべきだ。忙しくて便利すぎる今、そういうものをつくるのはなかなか大変で、だから仕組みが必要になる。いいアイディアが共有され、定番モノもハンドメイドも同じように出会え、ウソのない情報があり、楽しく少しずつ編集できる・・そうして愛着やストーリーが生まれていけば、僕らはもっと気持ちよく生きられる。。そういうことがフツウに起こる世界へ進化するために、知恵とテクノロジーを活かしていかないといけない。・・とか、言うは易し、だけど。



ゆたか

February 24th, 2013

目黒と恵比寿の間に「ゆたか」っていう店がありまして、別に大してうまいわけじゃないのですがたまにいくわけです。さほどうまくもないのに食べに行くっていう感性、どうなの?とか言われそうですが、まあ理由がないわけでもありません。

このあたりで夜に一人でいわゆる定食的なものを気楽に食べたいと思ったときに、近頃はそれがあまりないのです。例えばナス味噌炒め定食850円。こういういわゆる定食屋がないわけです。

おばちゃんというかおばあちゃんというか、そういう意味では妙齢な女性に注文をすると、はいよっと腰をあげて台所に行き「トントントン」と茄子を切る。この音がとてもよいのです。テレビの音と、なぜかプロレスのポスターと、トントントンの組み合わせ。まるでおばちゃんは息子につくるような気分なんじゃないかとか、そういう感覚になるわけです(多分いちいちそんなこと考えずに作業してるんだけど)。

そういえば白金商店街の脇にあった僕らの最初のオフィス(というか7坪の倉庫)の近くには洋食ハチローというのがあって、近所に工房のある友人のひょうどうひでと(アクリルのデザイン職人)が週刊ポストとか読んでるみたいな感じが、その前は日比谷や汐留で働いてたこともあって、当時けっこう気に入っていました。それはどうでもいいとして・・

ゆたかのおばちゃんもきっと何十年も同じことをしているから、周りの飲食店のレベルが上がってまったくもって取り残されているのは事実でしょう。客も多分減ってます。地方にはこういう店はいくらでもあるし、いつも行ってると別になんでもないわけなんだけど、都心に住んで、外さない店に行こうとついグルメな友達のお勧め店に行ったり、食べログとか確認したりして生きていると、なんでもない定食屋に行くということには別の意味があるわけですね。

大戸屋のメニューもよくできてるんですけどね。ラミネート感がちょっと・・定食屋というものの基本的な価値を損ねる面があるんですよね。建物も一緒で、完璧な数奇屋も、建築家の超創造的な空間も好きだけど、家に求められるものはわりと、あえて魅せたり考えさせたりしない「ほっとする」というやつがあると思います。

思いのこもった個人の新しい店づくりでも、あるいはチェーン店でも「トントントン」な感じとか、それに通じる価値、つまり、ほっとする、というやつを、感動とどう融合するかが、自分にとっても進化のヒントの一つなのかもしれないなどと思って昨日もゆたかを出てきました。



わが師匠

February 23rd, 2013

僕の偉大な師匠の一人、江副さんが亡くなった。29歳の時に出会い3年ほど近くで仕事をした。いろいろあったけど、チャーミングな人だった。

人がやらないことをやるんだと、いつも言っていた。新しいニーズに答える美しい建物を創るというテーマに、僕ら若い連中は乗っかり、夢中で仕事をしていた。

SD社の面接のときにオーナーである江副さんがくれた文章を読んで、僕は彼の元で仕事することを即決した。あの頃、建築やデザインにあれほど思いのある連中が集まったディベロッパーは他になかったし、そんな連中が百戦錬磨の不動産先輩たちとがっぷりチームを組んでビジネスと建築の間を追っかけていたのはアツい風景だった。(中でも特にヤケドしそうにアツかったのがいわゆるよっしぃである)

江副さんが毎月みんなに向けに書くテキストを読むのがいつも楽しみだった。ふだん話すときは理屈っぽい話は全然しないし、むしろ何言っているかよくわからないことも多かったが、文章は常にクリアだった。考えはどんどん変わるが、いちいち納得がいった。大事なことはしつこいくらい繰り返し言っていた。事業・経営を、ロジックというよりストーリーとして語るその語り口から多くを学んだ。

事業に巻き込みたい人がいればその気になるまで口説いていた。若者が、そして強気で元気なデキる女性が大好きだった。ユニホームシャツを来てみんなとワールドカップ観戦したり、安比高原合宿でカラオケしたり、そんな時間も彼はすごく楽しんでいた。僕らが赤坂にあったゲストハウスを「勉強会」と称して借りてクラブ状態にして遊んだりしてたのも、もし江副さんが現場にきてもきっと怒らないとわかってたからだ。

会社をやめますと言ったときは「そうですか。ぜひがんばってくださいよ。君、(不動産)開発もいいけどね、リノベーションやるといいよ」と言われた。この人どんだけ見えてるんだ・・と改めて思う。

やっかみ社会のシステムは彼を悪者にした。ある意味不器用で、やりすぎちゃったのは事実だが、同時に大いなる犠牲者でもあった。ともかく彼は世の中に新しいコトを創り出し、人が挑戦して成長する機会をいっぱい創った。

当時SD社に集まっていた面々は、志高く常に前向きで創造的でチャレンジ精神のある人たちだった。18歳で東北からやってきた社員も、院卒の小難しい兄ちゃんたちも、ごりごりのおっさんも、本当にフラットに互いにリスペクトしながら明るくがんばる組織だった。

今お世話になっている僕の多くの尊敬すべき先輩や仲間たちが、SDやリクルート通じて江副さんの考え方を受け継いでいる。江副さんは僕にとって、そんな人たちとの出会いをつくってくれた人でもある。

ある考え方を力強く示すと、同じ考え方を共有する人たちがそこに集まってくるんだということ。それが彼に学んだ最大の教えだと思っている。



振り返り

December 31st, 2012

今年は割といろいろな”初めて”があった。初めてフルマラソン走ってみたり、初めてマンション買ってリノベとかしてみたり、ふとジャズピアノなど習い始めてセッションもさせてもらったり、ブログなるものもやってみたら思ったより意味があった。仕事の方では、やろうとしていたことに思ったより時間がかかった感もありつつ、想像していなかったいくつかの出会いや展開もあって、いい具合の緊張感やワクワク感をもって年が終わる。

真面目な話で言えば、やっぱり原発論なんかを見ていて、社会が全体としてどうなればいいのかな、というようなことを結構考えさせられた。世界もそこそこ行くとこまで行ったのかなという感覚もありつつ、まだまだ進化はこれからだなというのが一旦の結論というところ。自分の理解としては、効率的であることを合理的と呼ぶ世界から、人間的であることが合理的になる(=理にかなう)という世界へのシフトがぐっと進む局面に入ったなという整理をしている。ある意味でのやりすぎや行き過ぎを経験して、僕らにとって幸せのコストパフォーマンスの構造が変わり始めたという感じ。ゆえに進化は次のステージに進むと。

今はもう昔みたいに殺し合いとか奴隷とか侵略とか独裁とか男尊女卑が幅広く正当化されてるような状況はなくなって、多くの人が自由を得たのは事実だし、昔みたいに貴族だけじゃなくて(少なくとも先進国では)普通の人がアートが好き☆とか言えちゃうようになったのも、技術や社会システムの進化ゆえだろう。一方で問題もいっぱい出てきたわけだけど、それに対する人々の意見も共有されて、昔に比べればよほど解決しやすくなっている。進化への疑念が生じる時代、みたいなことも言われるけれど、達成してきたことの裏返しとして生じた問題を解いていくというところに、この先の、次なる進化があるわけで、それは人々の価値観の進化と技術の進化と新たなアイディアが一緒に支えて行くということだろう。古き良きとか昔はよかった、みたいなことを感じることも色々あるけれど、それを守ったり取り戻すことも、これからの進化の中での作業になる。経済、というか価値交換のシステムも、多様な価値観や状況を包含できるように進化が起こるだろう。等など。

数年前の僕はクリエーターにもビジネスマンにもなりきれない自分、みたいなものに自信が持てず、立ち位置を整理することにだいぶもがいていたのだけど、この一年くらいは、ビジネスを発展させる事と社会の本来あるべき姿の関係みたいなものを整理しようとしていた感じが若干あった。そもそも大した”ビジネス”をしているわけでも規模拡大しているわけでもないし、投資家に対するミッションとかを負っているわけでもないので、そんなことに悩む必要もなくシンプルにいけばいいのだけど、つい考えてしまうたちなので・・

でもそれもだいぶ整理されてきた。これからは、人間的にまっとうな価値を創造するという軸での生産性を高めること、社会の総体としての幸せのコストパフォーマンスが上がるという意味での進化を後押しするようなビジネスを発展させることは、当たり前に理にかなうと。僕は快楽主義的な人なので、社会を良くする仕事、みたいに言ってしまうのはどうも合わない感じがあるので、しいて言うなら「社会に支持される事業(ビジネス)を楽しく創っていく」ということ。今の時代はもう、それが全てをまっとうに解いてゆく正しい進化となる時代に入っていると思う。抽象的だけど、そんなわけで来年はビジネスマンとしての自分を楽しむことにします。

あと、松井が引退に際して「チームが勝つために何ができるか、だけを考えてきた」と言っていたけど、彼は本当にそうだったんだろうなあと感じて、そのかんじを忘れないようにしよう、と真面目に思ってみたりしております。



メディアとか

November 14th, 2012

数日前に東京ピストルの草なぎくんが家のカギをなくした話がfacebookで盛り上がっていた。流れをかいつまむと、カギをなくして家に入れず外泊、翌日不動産屋でスペア借りて開け、でもその日にまたそのスペアもなくしてまた外で一泊、カギ交換しかないけど特殊なカギだから2週間かかると言われ、PCも家にあるから唖然、でも結局その日にエレベータ会社が開けられた!みたいな話。彼の語りとキャラもあいまってなかなか秀逸だった。あと先週は大学の売店のおばちゃんが間違ってプリン4000個発注しちゃってめちゃくちゃ困ってたら学生がどんどんバズって買い支えて、すごい売上立っちゃったって話があったけど、こういうのも好き。失敗をみんなで支えて解決したり、みんなで学んでみんなで笑う、というのはいいなと。

それを思い出して一人ブレストしたのが、生活上のあらゆる「失敗と対策」がたまっていってみんなで使える情報媒体みたいなもの。携帯なくした!とか、遅刻して言い訳必要なんだ!とか、醤油入れるつもりがバルサミコ入れちゃった!とか、何でもいいんだけどトラブったらそこにいって、yes/noとかたどっていくとだいたい何でも解決できるみたいな深い構造になってて、みんなでアップデートし続けるウェブ辞典みたいな。個人の知恵だけじゃなくて商売の人も登録してってレビューもたまるとか。途中から課金する形とかにしたら、困ったときだからお金高く払ったりして、それっていわゆる足下(見る)ビジネスだなあとか。そういうのってもちろん信用が大事だから、情報の質を担保するためにリアルに汗をかく人は必要だよなとか、意外と真面目なNPOが運営したりして、とか。
実際はもっと目的絞らないとうまくいかない気もするし、別にgoogleとFBやtwitterでいいって話な気もするけど。まあこういうこととりあえず考えるのが趣味みたいなものでして。。

ちょっと話は違うけど、昨日とあるミーティングで雑誌社の方と話していて改めて思ったのが、雑誌もitunesみたいに、記事ごとページごと写真ごと、に買えるようにならないのかなということ。先週は遅ればせながら初めてipadで雑誌を一冊ごとに買ってみたりしたけど、やっぱりどうも気持ち悪い。本や漫画ならタブレットめくるのもいいんだけど、雑誌だと紙を画面に置き換えている感じが尚更しっくりこない。誰々さんの連載記事をまとめて買いたいなあとか、NY行くなら色んな雑誌の最近の関連記事をまとめて買えたらいいなとか素直に思うし、住宅リノベの仕事なんかでも、設計者もお客さんも色んな雑誌積んでたくさんポストイット貼ったりしてるのを見ると、今の時代にはどうもしっくりこない。僕は電子書籍の流れとかほんとに詳しくなさすぎるので、どうせけっこうあるんだろうと調べてみたら、そういうバラ記事購入とかは、全くないわけじゃないけどまだほとんどない。

権利関係を解くのが難しいのは当然だし、収益構造が厳しくなると考えるのが自然ではあるし、既存事業の形とのコンフリクトもあるだろうけど、そろそろ雑誌も、最初からバックナンバーコンテンツの電子バラ販売を前提に、仕組みや編集、権利の構造なんかを組み立て直していった方がいいんじゃないか、成立する方法って本当はあるんじゃないかと思ったりした。単にウェブ前提にシフト、みたいに考えていくとそれってウェブマガジンじゃんとかいう話になるわけだけど、なんとなくウェブメディアというとウェブ前提の収入イメージからコンテンツコストを設定してつくる感じになる。でも紙でしっかりつくっている雑誌が濃い内容をつくって出しつつ、半年後あたりから過去記事をうまく細かい単位で課金して売ったらまあまあ儲かるような気がしないでもない。その場合は出版社が各々というよりは誰かがとりまとめてプラットフォームにすることになるのかな、とか。
まあどうせ「そんな簡単なことじゃねえ!素人が!」と言われる話なんだろうけど、一度それはそれでどういう構造なのかきちんと知りたくなっているので、誰かよくわかっている人に教えてもらえたら嬉しい。このあたりは今後勉強してきたいところだし、何かある気がしている。

自分の仕事寄りで言うと、空間設計の世界では、おもしろいアイディアほどいっぱい広がる方がいいのに、設計者の名前がついて雑誌とかに載ったアイディアは、似たことやるとパクりだと批判される、ということに違和感を持っている。音楽なんかでももちろん同じことはあるんだけど、空間は音楽と違って複製流通しにくいので、少し違うはず。意匠権ていうのもあるけど、超めんどくさそうだし。これから設計者のビジネスモデルは変わらざるを得ないので、いいアイディアが自然に広がって、そのアイディア出した人が価値相応の報酬を得られるようなかたちを考えたいというテーマを持っている。多分、ネットとかメディアとかの仕掛けと、価値評価と権利構造の仕組みとかを組み合わせて解いていくのだろう。それを楽しくおもしろい形で何か事業にできないかと思っている。リアルな空間を快適に人間的に保っていくためにも、デジタルなりメディアなりの流れにはきちんとついていってアイディア出していかないと、その目的が最終的にうまく果たせなくなるし、同時に自分は役立たずになっていくという危機感を持っている。



離島論

September 30th, 2012

諸々の経緯は省略するけれど、3年前に仲間と宿をやることになって、行ったり来たりしているうちに、新島という場所は僕にとって特別な場所になった。その自然、人の素敵さ、コーガ石の家々・・魅力は色々あるけれど、東京なのに驚くほど静かな空気が流れ、商業的なものが少ない素朴な風景に、とにかく魅了された。最初は、好きな場所に自分たちの居場所をつくることや、宿をつくって人を呼ぶことへの興味から始まったのだけど、少しずつ、島の未来を意識するようになってきた。雇用が減ったり、テトラポットが増えて海の風景が徐々に変わっていったりと、気になる状況が目につく。どうすればこの島に安心と希望に満ちた未来が開けていくのか。島の人たちと話したり、財政の数字を調べたりする中で、それがかなり大変な課題だということはわかってきた。

問題の構造はこうだ。数十年前は離島ブームで観光収入も多く、人々は問題なく暮らすことができ、新しい家もいっぱい建った。その後少しずつ来島者が減り、観光産業の状況は大きく変わった。よりマクロな構造としては、この数十年で世の中のあらゆる産業がグローバル競争の中で集約化・合理化が進み、離島という地理的前提の不利がどんどん際立つようになり、地域産業の成立構造はどんどんシビアになった。そうして他の離島と同様に、2600人が食べて行くための経済構造は、徐々に公共の建設事業に頼る度合いが高まった。そしてここへきて、今後公共事業が同じ規模では続かないことが見え始め、同時に高齢化も進んでいる。補助金や公共事業なしで自立しよう、なんてことがどれほど難しいことであるかは調べればすぐにわかる。

今いきなり港の整備工事やその他の公共建設事業が仮に3分の1になったら、明らかに島の経済は立ち行かなくなるだろう。恐らく島民の半分は島を出て他の場所に仕事を探しに行くことになり、残った人の生活レベルは大きく下がり、現代における常識的な範囲の暮らしができなくなるかもしれない。暮らし方を変えればいい、とか、一次産業をがんばって自給率も上げて地域の資源を育てて行こう!と言ってすむようなものではない。とはいえ構造転換は当然に必要であり、その未来の構造のデザインを何とか描いていかなければいけない。いわゆる就職先、でなくとも、ここに住む人の”シゴト”は存在しなければならない。

この島が今後も美しくあってほしい、そして経済的にも成立し、ここに生まれ育った人たちが、ここに住みたいと腹をくくって思ったときに、贅沢でなくとも人間的に住めるような場所であるべきだ、という前提に立ったとき、今のままではそれは維持できないように思える。世の中の技術が進歩すると、離島にとって産業的な競争力は下がる方へ向くという構造は、例外はつくりえるとはいえ、マクロ的にはそう簡単には変わらない。みんなが自給自足でいけるかというと、それは100年前の生活に戻ることが前提になるような世界であって、それがいやならここを去れ、というのも早計すぎる。

まだまだ抽象的なレベルだけれど、僕は一つの仮説を立てている。それは、よく言われる「地域資源に注目せよ」というものを少し広げて考えたものだ。簡単に言えば、ここは地元の人の生活の場でありながら、東京首都圏の人のための、一つの公共性を持った場所、例えて言うなら「公園」と考えてきちんと島をデザインしていこうというものだ。今後も産業の都市化は全体としてはまだまだ進まざるを得ないのが現実であるが、そのとき都会の人たちの日常は今と同様あるいは今以上に息苦しいものになる可能性がある。そのとき、離島は大都市圏と組み合わせとして価値を持つ。高密度のマンハッタンの真ん中にセントラルパークがあるように、東京には、都会の風景や時間と切り離された島があるということは絶対に価値がある。それは単に静かで癒される風景や空気だけでなく、都会の人が人間的な心を取り戻すための様々な「体験」まで含めたものである。そしてその提供が島の人たちのシゴトになるようなイメージである。

新宿御苑の植栽管理をする人たちの給料を、税金でまかなうことに異論を持つ人はあまりいないだろう。もし例えば新島が都会に住む人たちにとって本当に価値のある空間や体験を提供することができれば、それに一定の税金が払われることも理解されるはずである。少なくとも、本来必要がないような公共工事における原材料費を膨大に払うことよりは安く済む話である(今の工事が不要だと言っているわけではないが)。新島は、本州本土の郊外・田舎とは異なる価値を提供できる潜在力を持っている。その価値は離島ブームの頃のそれとは違う、島の多くの人(恐らくは役場の人たちも)がまだあまり理解していない価値である。もちろん、そのためにやることは色々ある。必要なのはビジョンと感性と努力、そして先見的な判断である。

ただ、未来のあるべき構造が具体的に見えたとしても、いきなりそこにシフトすることは難しく、ある程度の時間をかけていく必要はある。今、島の建設会社も島の雇用を支える使命もきっと感じながらがんばっているわけで、単に建設から他へすぐにでもシフトしよう等ということは答えだとは思いにくい。シフトの手順として一つ可能性があると思うのは、10年20年後のビジョンを描いた上で、まずは土木的な投資を一気に減らすのではなく、まず土木投資の”中身”(まずは、額でなく)を変えて、未来象に向けての準備としての投資をしていくことではないか。それがどういう内容であるべきかを考えるところには、都会の人たちの創造性も発揮すべき部分がある。実際、今の新島はその自然資源を、来島者が見て感じることが極めて限定的にしかできないインフラ的状況がある。ここには、建築家とかランドスケープとか、そういう人たちにできることもあるはずだ。離島の個別の未来像を真剣に考えていく中で、地道なアクションや、コミュニティの話や新しい生き方の話とともに、ハード(建物ではないかもしれないが)のデザインの課題も未だあり、それは経済構造や価値観シフトの話と完全に同時的に考えいくべきものであると思っている。

まだまだ全然”わかっていない”よそ者の感覚でいい加減なことを言ってはいけないとは思っているけれど、自分の中での一つのテーマとして、人に考えを話して反論を受けたりもしながら、少しずつでも理解を深めたりアクションがとれればと思っている次第。



人生価値

September 23rd, 2012

5年ほど前、とある大先輩に相談ごとをした時に言われたことがある。「人はみんな各々の人生の価値を最大化すべく努力したり決断していくものだ。そこに一定のエゴがあるのは当然で、それを悪いことだと過剰に思う必要はない」と。僕の中にその言葉はかなり残っていて、時々思い出すし、少しずつ自分の中で解釈を加えている。

自分の人生価値を最大化しようとするとき、そこにある自分の欲なりエゴなり希望なりが、他人の人生価値を明確に損ねることが明らかである場合、そうした行為は否定するというのが法律や道徳である。10代の女子が同年代の彼氏をいきなりフるのは、相手の人生価値を長期的には損ねるわけではないので、道徳的に否定されるものではない。自分の人生価値が、他人の人生価値とすごく連動する人は「いい人」と言えるだろうし、逆に、他人の人生価値が下がった方が優越を感じて、自分の人生価値を上げる、という人は「いやなやつ」ということになる。

ところで人生価値とは、自分の最終的な人生への満足度なのか、あるいは自分が楽しいとかつらいとかとは別に、世界に貢献した度合いのことを言うのか、言語的にはどちらにもとれるのだけど、ここでは前者の意味で言っている。自分の人生価値の指標が、世界に貢献した度合いという指標と重なる人は「偉い人」。「いい人」はむしろ、身近な人の人生価値と自分の人生価値が連動する人という感じだと思う。

わりと最近、Incognitoのライブをのぞく機会があり、なんか気分が大学時代までさかのぼって楽しかったのだけど、リーダーのブルーイ(だいぶおっさんになった)がとても素敵だった。震災後の日本を心配応援する言葉を言うときの彼の顔に嘘はなかったし、「みんな音楽を好きでいてくれて嬉しい、これからもずっと音楽を大事にしてね」と何度も言う彼は、一人のミュージシャンとしてだけでない視野を持つに至ったように思えたし、僕らのメンバー紹介するよ、United Nations of Incognito !と言って世界中から集まってる若者を丁寧に紹介している彼は自分も本当に幸せそうだった。そうして自分は目立ちすぎることなくチームを後ろからしっかりまとめている。いい人であり、偉い人、に見えた。

自分はどうかというと、あんまりいい人でも偉い人でもないということを自覚しているのだけど、まあそこはここで深堀りせず自己研鑽を積むとして、仕事のスタンス論に関して言えば、「得意な領域(=貢献できること)」と「楽しい/やりたいこと(=自分の好奇心の対象)」という2つの輪っかがベン図みたいに一部重なっていて、結果的に、その重なっている領域で仕事をするようにしている。それが結局、自分の人生価値をできるだけ高めるための自分なりのフレームと言うこともできる。

自分の場合、生活空間を皆が自分でこだわったりワクワクするようになるために何があったらいいかというのがいつも主題であり、それは人々の人生価値をプラスにすると信じていて、で、その中で自分の貢献度の高いことをやるということになる。得意なのは、一つ一つの空間の形をつくるよりも、人が色んな生活のシーンをつくっていくための場のアイデアと場づくり、あるいはさらにその中の一部だと思っているから、そこに集中する。ライフスタイルっていう言葉はどうしてもおしゃれのトーンみたいな意味を帯びてしまうところがあるので、あえてカタい言葉に置き換えると生活様式、僕らなりの生活様式の提案を、場作りを通してするのが仕事。ちょっと風呂敷広げて言えば、豊かに生きる方法の提示や発明がしたいのであって、現代・未来の世界の諸条件の中で、皆の人生価値を維持し、上げるような生活様式をつくること、そしてそれが自分の人生価値も上げるようなかたちでやっていくと。
ふぅ。ものすごくかっこつけて言うとこんな感じになるのかな。。またそんな回りくどいうんちくで人生考えるのかよ、と言われそうですが、そういうサガなのです。



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